| < 松山俊太郎「インドの回帰的終末説」(1982) < i. 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など < 仏教 | ||||
〈
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 松山俊太郎、「インドの回帰的終末説」、is、no.17、1982.6、「特集 時」、pp.6-9 ユガ~カルパ説[ヒンドゥー教]/複合カルパ説[仏教]/半円環的時代説[ジャイナ教]など ■ 「インド」の頁の「iv. 叙事詩、プラーナなど」中の→こちら(『マヌの法典』)、そちら(『マハーバーラタ』)、あちら(『バーガヴァタ・プラーナ』)で、各邦訳から宇宙周期の年数に関わる箇所を引用しておきましたが、4つのユガ+各前後の移行期を合計すると、 (400+4000+400)+(300+3000+300)+(200+2000+200)+(100+1000+100)=12,000年 となります。ただ各邦訳でも〈神々の年〉に触れられていたように、 「(g) これらの算定での〈年〉は〈神の年〉であり、人界の〈360年〉と見なされるようになる。〈人の1年〉が〈神の1日〉である」(松山俊太郎、上掲「インドの回帰的終末説」、pp.6-7/再録した『松山俊太郎 蓮の宇宙』(2016)では p.283)。 「(d) この〈ユガ=4ユガ〉の千倍が、ブラフマー神(brahmā)の〈昼〉または〈夜〉に相当すると見なされる」(p.6/『蓮の宇宙』、p.283)。 「(f) 〈カルパ周期(Kalpa、劫)〉も採用され、〈梵天の昼〉と同一視される」(同上/同上) ことなどと併せて、 「(h) 新しい計算法により、〈クリタ・ユガ=172万8千年……〉〈カリ・ユガ=43万2千年〉〈大ユガ=432万年〉〈カルパ=43億2千万年〉となる。 (i) 〈梵天の寿命〉は100年または108年とされるから、100年ならば人間の〈311兆400億年〉に相当し、これを〈パラ(para、最高)〉と呼ぶ」(p.7/『蓮の宇宙』、p.283) とのことでした。 なお(g)の件については、本頁下掲「ii. インドの神話とその周辺」で挙げた 橋本泰元・宮本久義・山下博司、『ヒンドゥー教の事典』、東京堂出版、2005 でも、『マハーバーラタ』や『マヌ法典』などでの 「人間の一年は神々の一日に相当し、さらに4ユガ期を合わせたもの(これをチャトゥルユガ期、またはマハーユガ期と呼ぶ)を1000倍したものが、創造神ブラフマーの一日(日中)に相当するといわれ、それを一カルパ( この類比は、プラーナ聖典ではさらに大きなものになる。『ヴィシュヌ・プラーナ』によると、上述のマハーユガ期1万2000年は神々のものであるといわれる。そうすると、1カルパは神々の1200万年になり、これを人間の年に換算すると43億2000万年となる。さらに、ブラフマー神の夜もこれと同じだけの長さを持ち、ブラフマー神の100年ごとに世界は大破壊を迎え、また再創造されるという」(p.71) と、『マハーバーラタ』『マヌ法典』とプラーナ文献の間に変化を認めていました。 ■ とこうしてヒンドゥー教では 1カルパ=43億2千万年 〈梵天の寿命=梵天の百年=パラ〉=311兆400億年 等と具体的な数字を当てたのに対し、仏教では、 〈成・住・壊・空〉各20中劫からなる計80中劫=〈(四)大劫〉 は 「〈磐石劫〉〈芥子劫〉など譬喩的にのみ説明され」(「インドの回帰的終末説」、p.8/『蓮の宇宙』、p.288)、 具体的年数を示さなかったようです。なお、 「 これらは『 ( 定方晟、『須弥山と極楽』、1973、p.101)。 仏教が数字嫌いどころか、須弥山世界の大きさや欲界・色界の住民の身長や寿命などなど、事細かに数字を当てていることを思えば、〈劫〉に対するこうした態度は不思議と見えなくもありません。 ◇ とまれ松山俊太郎は、 「〈中間劫〉が、人間の寿命が8万歳から10歳まで百年に一歳ずつ増減する期間、(80000-10)×100×2=15998000年と、算定の基礎ができた…(後略)… すなわち、新しい〈大劫〉は、〈12億7984万年〉で、ヒンドゥー教の〈カルパ〉の4分の1強にすぎない」(「インドの回帰的終末説」、p.9/『蓮の宇宙』、p.288) と算出しています。 仏教における〈劫〉が何年なのか、気になる者は他にもいるようで、「仏教」の頁で挙げた(→そちら)の鈴木真治『巨大数 岩波科学ライブラリー 253』(2016)は、数学者リトルウッドの言葉を引用しています(p.22)。そこにも記されているように引用元には邦訳があって、見る機会がありました; B.ボロバシュ編、金光滋訳、『リトルウッドの数学スクランブル』、近代科学社、1990、「第10章 大きな数」 です。 「大きさが1立方マイルで、堅さがダイヤモンドの100万倍の岩がある。100万年に一度、聖なる人が岩のところに降臨して羽毛で撫でるががごとき7一撫でをする。岩は最後に擦り切れてしまうのであるが、それまでに1035年ほどかかる」 とあって、その前に 「バックル著『イングランドにおける文明の歴史』(第2版)、121-124ページ参照(次に述べることはこれが出典のような気がする - 私が自分で考え出せたはずはないから)」 と但し書きしてありました(p.142)。日本語版ウィキペディアに「ヘンリー・トマス・バックル Henry Thomas Buckle(1821-1862)」の頁がありました(→あちら)。History of Civilisation in England は未完で、第1巻は1857年、第2巻は1861年、第3巻は歿後の1868年に刊行されたとのことです。残念ながら算出の根拠はわかりませんが、他方、やはり「仏教」の頁で挙げたフィッシュ『巨大数論 第2版』(2013/2017)によると、 「『カガクの時間』というサイトでは、次のように計算しています。 『磐石劫』では、 『1里=500m』 『原子=1辺0.2nmの立方体』 『1回なでると、1平方メートルの範囲の原子が1層はがれる』 という仮定の下、 4𥝱=4×1024年という計算結果を出しました。 2つ目の『芥子劫』については、 『1里=500m』 『けし粒=1辺0.5mmの立方体』、 という仮定の下 6𥝱4垓=6.4×1024年という計算結果を出しました」(p.16、改行は当方) とのことです。 「数の位は、一、十、百、千、万と10倍ずつになり、その先は1万倍ずつ、億=108、兆=1012、京=1016、垓(がい)=1020、𥝱(じょ)=1024…(後略)…」(p.13) で、 ヒンドゥー教における1カルパ=43億2千万年は43.2×108年、 松山俊太郎が記した仏教での大劫=12億7984万年は約12.8××108年、 「インド」の頁で挙げた梵天の寿命=パラ=311兆400億年でも311×1012+400×108 と、これらよりさらに大きくなったわけです。 ◇ ちなみに未来仏弥勒は、56憶7千万年後に下生すると、通例言われます。もっとも、 「『中阿含』の『説本経』によると、人間の寿命が八万歳になる時に転輪聖王シャンカと未来仏マイトレーヤがこの世に出現するという…(中略)…あとで述べるさまざまの経典では〝五十六億七千万年ののち〟と記してあるが、この方がのちに成立した説であろう」(渡辺照宏、『愛と平和の象徴 弥勒経 現代人の仏教 8』、筑摩書房、1966、p.85/2章。*マイトレーヤは漢訳の弥勒)。 『弥勒下生成仏経』でも、 「それは遠い将来、人間の寿命が八万四千歳まで延びる時世のことである(いまから五十六億七千万年後ということはこれらの経典には説かれていない)」(同上、p.146/3章)。 『観弥勒上生兜率天経』において、 「ジャンブドヴィーパの年数にして五十六億万年たつと(マイトレーヤはトゥシタ天からくだって)ジャンブドヴィーパ世界に下生するであろう〉。『弥勒下生経』に説かれているとおりである」(同上、p.262/5章。*トゥシタ天=漢訳での兜率天、ジャンブドヴィーパ=閻浮提、人間が住む大陸) と記されました。数字が食い違っていますが、これは 「マイトレーヤの下生はわれわれの世界の年数にして五十六億万年ののちであるとこの経典に記してあり、『一切智光明仙人慈心因縁不食肉経』(大正蔵3・458下)にも同様であるが、後には一般に五十六億七千万というのがふつうになっている。おそらくその根拠はわれわれの世界の四百年がトゥシタ天の一昼夜に相当し、一年を三百六十日として、天上の寿命が四千年というところから 400×360×4,000=576,000,000 となり(『賢愚経』巻12、大正蔵4・437上など参照)現代の数え方では五億七千六百万年となるが、これを五十七億六千万と読み、のちに口調のよいところから五十六億七千万と読みならわしたように思われる」(同上、pp.263-264/5章) とのことです。ちなみに兜率天は、欲界六欲天のうち、地居天である須弥山中腹の四天王天、須弥山頂の三十三天(忉等利天)、空居天最下の夜摩天の上、化楽天と他化自在天の下に位置し、 「天上界のうちでは低いところにあるが、これが重要視されるのは次に仏陀となるボサツは必ずこの天にのぼり、そこから地上にくだって生まれて仏陀になる定めとなっているからである。シャーキャムニの仏陀伝にも必ずそのように記してある。したがってマイトレーヤの場合もそれと同様である。しかしマイトレーヤがトゥシタ天から下生すると明記したのはさきに紹介した『下生経』の類ではいわゆる竺法護訳『弥勒下生経』と義浄訳『弥勒下生成仏経』の二経のみで、『弥勒来時経』と羅什の両訳とにはトゥシタ天と明記してはいない。『賢愚経』『ディヴヤ・アヴァダーナ』『マイトレーヤ・サミティ』(コータン語)、『未来史』(パーリ語)のすべてトゥシタ天のことを言わない。言わないにしても了解されていると考えてもよかろう」(同上、p.258/5章)。 「天上界のうちでは低いところにあるが」という点は、「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」に挙げた 稲本泰生、「東大寺二月堂本尊光背図像考 - 大仏蓮弁線刻図を参照して」(2004) のところでメモした、欲界の上にある色界四禅天、とりわけその最上層にある色究竟天(摩醯首羅天/大自在天)と無色界の位置づけを連想させなくもないかもしれません→あちら。 戻って56憶7千万年は、先述の 松山俊太郎が試算した仏教での大劫=12億7984万年、またヒンドゥー教における1カルパ=43億2千万年よりは長いことになります。他方現代の物理学によると、太陽は約50億年後には赤色巨星化し、地球は飲みこまれるか、そうならないまでも焼き尽くされかねないという。仏教の宇宙史で、劫ごとに終末をもたらす大の三災の内、最も多い火の災いが連想されなくもありません。諸星大二郎の『暗黒神話』(1977)がまた別の弥勒下生のヴィジョンを描いていたことが思いだされたりもするのでした。 ■ 仏教では1大劫×8×8の六十四転大劫だの阿僧祇劫だのと増殖していくわけですが(先の「数の位」云々によると阿僧祇=1056)、やはり松山の先の論考では、いわゆる六師外道の一人ないし「仏陀と同時の〈邪命外道(ājīvika)〉マッカリ・ゴーサーラの教説」に触れています; 「(vi) パーリ長部『沙門果経(sāmañña=phalasutta)』とジャイナ経典『バガヴァティー・スートラ』は、ゴーサーラの『無業報輪廻説』を伝えている。人間は 〈8百40万大劫(cullāīti mahākappuno satasahassāni, caürāsītim mahākappa-saya-sahassāïm =84×100×100大劫) の輪廻を経て所業の善悪に関係なく涅槃に達するとあるのは両経に共通であるが、後者はさらに、 〈大劫(mahākappa)が三十万〈サラ(sara)〉 からなるとして、夢魔的な体系を説く。すなわち、 河床の長さ250〈ヨージャナ(約15キロ)〉、 幅が半ヨージャナ、深さ500〈ダヌス(2メートル弱)〉 のガンジス河を基準として、 その7の7乗倍(117,649倍) の規模をもつパラマーヴァティー河があり、 この河床から100年ごとに一粒の砂を除いて砂がなくなる期間が、〈サラ〉である。 砂の厚みが述べられていないので、 ガンジス河の砂粒を10の20乗として計算すると、 〈8百40万大劫〉は3×10の39乗年になり、 〈世界生滅の期間〉はこれよりさらに長大である」 (「インドの回帰的終末説」、p.8/『蓮の宇宙』、pp.285+286、改行は当方による)。 パーリ長部『沙門果経(sāmañña=phalasutta)』の該当箇所の現代語訳は; 長尾雅人訳、「出家の功徳(沙門果経)」(19-21)、『バラモン教典 原始仏典 世界の名著 1』、1969、pp.510-511 森祖道訳、「第二経 修行の成果 - 沙門果経」(19-21)、中村元監修、『原始仏典 第一巻 長部経典Ⅰ』、春秋社、2003、pp.66-68 マッカリ・ゴーサーラについては 中村元、『思想の自由とジャイナ教 [決定版]中村元選集 第10巻』、春秋社、1991、pp.77-111:「第3章4 決定論 - ゴーサーラとアージーヴィカ教」 などを参照ください。 ■ 宇宙周期の年数ではありませんが、フィッシュ『巨大数論 第2版』(2013/2017)には数の単位としての〈恒河砂〉に関し、 「恒河砂は『ガンジス川の砂』の意味で、…(中略)…ガンジス川の砂の数という具体的な数になっているので、どの程度の大きさなのか見積もってみます。…(中略)…ガンジス川の全長は2500kmあまりです。川幅は数kmなので4km程度と考えて、面積を10000km2とします。深さをどこまで取るのかは分かりませんが、仮に1mの深さまで考えると、体積は10km3になります。問題は、砂の大きさです。…(中略)…ここでは暫定的に直径が0.1mmであると考えます。…(中略)…充填率100%でざっくり計算すると、10km3=1010mの中に0.001mm3=10-12m3の粒子を隙間無く埋めた時の粒子の個数なので、1022となります。今の日本の数え方だと、100垓程度であると見積もられます」(pp.15-16) と算出しています。フィッシュ『巨大数論 第2版』や鈴木真治『巨大数』双方で取りあげられている アルキメデスの「砂粒を算えるもの」 が連想されもするでしょうか。 ◇ この他フィッシュの本では第1章中の1.2として華厳経阿層祇本に登場する「不可説不可説転」が扱われています(pp.31-32)。鈴木真治『巨大数』、pp.25-26、さらに「仏教 Ⅱ」の頁の「iii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」で挙げた 鎌田茂雄、『華厳経物語』、1991、pp.189-199:「無限の数と寿命 - 心王菩薩問阿僧祇品」 平嶋秀治、「華嚴經における大数について」、2000. 望月海慧、「『華厳経』「阿僧祇品」「入法界品」に説かれる算法について」、『宗教研究』、vol.81 no.4、2008 また 兒山敬一、「華嚴經・如來光明覺品の數理 - その方法論的な序説 -」、1961 同、 「華嚴經における數理的なもの(二)」、1962 なども参照。鈴木真治『巨大数』によると数学者の末綱恕一に『華厳経の世界』(1957)があるとのことですが(p.26)、残念ながら未見(追補:その後見る機会を得ました→やはり「仏教 Ⅱ」の頁の「ii. 華厳経、蓮華蔵世界、華厳教学など」中)。 ■ 他方、同じく松山「インドの回帰的終末説」の該当部分によると、ジャイナ教は 「各時代の長さ算定の基準となるのは、〈如海量(sāgaropama)〉という単位で、 〈芥子劫〉に似た譬喩により説明もされるが、 〈840万の19乗年〉であるとも云う。 これを〈10の14乗(koti-koti)〉倍したものの4倍が〈善善〉時代で、 3倍が〈善時代〉、 2倍が〈善悪時代〉、4万2千年を引いたものが〈悪善時代〉、 2万1千年ずつが〈悪時代〉と〈悪悪時代〉の長さとされる。 つまり、〈840万の19乗×10の15乗年〉が、〈下降時〉または〈上昇時〉の年数である」(「インドの回帰的終末説」、p.9/『蓮の宇宙』、p.292:改行は当方)。 各6時代に分割される〈下降時(avasarpinī)〉および〈上昇時(utsarpinī)〉、計12時代=12の〈 840万の19乗×10の15乗年×2 でした。840万の19乗はGoogleで計算すると3.641719e+131と出ます。これは3.641719×10の131乗でよいのであれば、それに10の15乗を掛けて3.641719×10の146乗、2倍にすれば7.283838×10の146乗でずいぶん大きくなりますが、合っているのでしょうか? ■ 「ギリシア・ヘレニズム・ローマ Ⅱ」の頁の「xii. その他」で挙げた Godefroid de Callataÿ, Annus Platonicus. A Study of World Cycles in Greek, Latin and Arabic Sources, 1996 の巻末にある 「附録2 もろもろの大年(太陽年で)」("Appendix 2 : Great Cycles (in solar years)"、pp.253-258) は、さまざまな典拠に現われた大年の年数の一覧で、 テネドス島のクレオストラトス(紀元前520年頃)ないしクニドスのエウドクソス(紀元前4世紀)に帰されるという〈8年〉(p.253)を皮切りに、 年数の大きいものへと列挙してあります。本の副題にあるとおり、古典古代およびアラビアの文献が主なのですが、 一番最後の、おそらく資料が破損しているであろうとされる「344,3(...),787,638,360,[609 or 670]」(p.258)の一つ前は、 「43億2千万」というインドのカルパのものでした(同上)。 ◇ 「中国 Ⅱ」の頁の「viii. 宋学と理気説」で挙げた(→そこ)、邵康節/邵雍『皇極経世書』の〈元会運世〉説では 一元は12万9600年となるわけですが、 川勝義雄「総説」(『史学論集 中国文明選 第12巻』、1973) によると、 「宇宙は『元之元之元之元』つまり『元』の4乗『2万8211兆990万7456億年』」(p.20)。 あわせて、『帝王世紀』等における天地開闢から現在までを 「276万745年」 とする算出については→あそこを参照:戸川芳朗、『漢代の學術と文化』、2002/「中国」の頁の「iv. 個々の著述など」の項の「その他」 ◇ イスマーイール派における周期説、とりわけイエメンのタイイブ派における 36万年×36万回=1296億年の大周期 (→そこなど:「イスラーム Ⅱ」の頁の「vi. イスマーイール派など」)、 またユダヤ教カバラーにおける〈シェミットート〉について、「ユダヤ Ⅲ」の頁の「xii. カバラーなど」で挙げた 山本伸一、『総説カバラー ユダヤ神秘主義の真相と歴史』、原書房、2015、pp.253-284:第2部第10章「世界周期論」 などと比較してみてください。 「ひとつの世界が崩壊すると、今度は新しい世界が創造されるという。この循環は連鎖し、創造と終末で区切られた7000年の期間が7度繰り返される。ここまでで49000年を数える。さらに最後の1000年で、時間は究極の終焉へと向かい、最後にはすべてを生み出した神の内部に回収されることになる」(p.256)。 「世界の終わりに向けて7度繰り返す7000年の時代は、それぞれひとつのセフィロートとひとつのヘブライ文字に対応していて、文字により時代の性質が異なっている。…(中略)… 神からモーセに与えられた律法がこの7000年に限られた一時的なものでしかない」(p.259)。 ◇ 〈5万年〉という単位は、宇宙的な周期の期間ではありませんが、大地と第9天球ないし神の玉座との間を表わす表現として、イスラーム圏の文献に登場するそうです。「イスラーム Ⅲ」の頁の「x. クジャタ、バハムート、ファラク、その他」で挙げた Bernd Radtke, Weltgeschichte und Weltbeschreibung in mittelalterlichen Islam, 1992, pp.254-255 Bernd Radtke and John O'Kane, The Concept of Sainthood in Early Islamic Mysticism. Two works by Al-Ḥakīm Al-Tirmidhī, 1996, p.230 などを参照。 同じ「x. クジャタ、バハムート、ファラク、その他」の項の少し上で記したように(→そのあたり)、 やはり距離を表わす 〈500年〉 という言い方や、 〈1万8000の世界(ないしアイオーン)〉 といったイメージをユダヤとイスラームは共有しています。「ユダヤ Ⅱ」の頁の「xi. メルカヴァー/ヘーハロート神秘主義など」で挙げた Nocolas Sed, La mystique cosmologique juive, 1981, “chapitre Ⅲ A-f-7 Les cinq cents années de marches” et “chapitre Ⅲ A-f-5 Les dix-huit mille mondes” なども参照ください。加えて、ユダヤの巨数嗜好は神の身体の寸法を記した〈シウール・コーマー〉などでも見られました(→あのあたり:「ユダヤ Ⅱ」の頁の「メルカヴァー/ヘーハロート神秘主義など」)。そこからさらに、ユダヤにおけるアダムの表象も含んだ、宇宙大の原人間や原初の獣のイメージへつながっていくことでしょう(→「原初の巨人、原初の獣、龍とドラゴンその他」の頁を参照)。 →こちら(バリントン・J・ベイリー『時間衝突』(1973)・『シティ5からの脱出』(1978)より・『永劫回帰』(1983)メモ頁でも触れました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2023/01/07(別頁仕立て:2025/12/30) 以後、随時修正・追補 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| HOME > 宇宙論の歴史、孫引きガイド > 仏教 > .i 須弥山/三千大千世界/四大劫・六十四転大劫など > 松山俊太郎「インドの回帰的終末説」(1982) > 〈 |