| < フィリップ・K・ディック(1928-1982) < 近代など(20世紀~) Ⅴ | ||||
フィリップ・K・ディック、メモ
◇ 「グノーシス諸派など Ⅲ」のページの「おまけ」および「イラン」のページの「おまけ」で触れたように、 フィリップ・K・ディック、、大瀧啓裕訳、『ヴァリス』、(サンリオSF文庫 3-E)、1982 Philip K. Dick, VALIS, 1981 中の「源を2つにする宇宙創成論」(pp.131-134/6章、「日誌もしくは釈義」47、 および pp.350-372/「秘密経典書」47)は、ゾロアスター教ズルヴァーン派ないしズルヴァーン主義の神統譜を範にしたものではないかと思われます。冒頭だけですが、該当する部分を引いておくと、 「〈唯一者〉の有と非有が結合し、〈唯一者〉は有から非有を分離しようと望んだ。こうして二重の袋を生みだし、この袋はそれぞれが両性具有者であり、それぞれ反対方向に旋回する双子を、卵の殻のように包んでいた(〈唯一者〉を |
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| ズルヴァーン主義の位置づけについてはいろいろ議論があるようですが、それはさておき、その神統譜は、時の神ズルヴァーンは子オフルマズドを得るべく千年間供犠を行なうけれど、供犠の効果に対する疑念からアフリマンも懐胎される。先に産まれたものに王権を授けると誓ったところ、胎内でそれをオフルマズドから聞いたアフリマンが先に産まれたというものでした*。 | * R.C. Zaehner, Zurvan. A Zoroastrian Dilemma, Biblo and Tannen, New York, 1955/1972, pp.419-429/第2部ⅢF1、 青木健、『ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究 ペルシア語文献「ウラマー・イェ・イスラーム」の写本蒐集と校訂翻訳』、刀水書房、2012、pp.175-196/第1部9章など参照。 |
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始源の存在から双子が生じ、その内ネガティヴに捉えられる方が先に出現するという構図が共通しています。他方互いに反対方向に旋回する対というイメージも興味深いものでした。「〈唯一者〉を |
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| 連想をさらに飛躍させれば、TVアニメ『少女革命ウテナ』(1997、監督:幾原邦彦)のオープニングが思い浮かんだりもします。まず、黒地に薔薇を様式化したらしきピンクの図形、その前に胎児のように身を丸めた二人の黒いシルエットが配されているのですが、シルエットは時計回り、薔薇は反時計回りに回転しています(右)。次いで薔薇が二つに、二人のシルエットもそれぞれに分かれる(下左)。一から二への分裂。左のシルエットは時計回りで右のシルエットは反時計回り、二つの薔薇はそれぞれが擁するシルエットとは逆向きに回転していました。やがてシルエットは主役二人の姿に変じるのでした(下右)。 | ![]() |
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◇ やはり「グノーシス諸派など Ⅲ」のページの「おまけ」で触れた、 フィリップ・K・ディック、大瀧啓裕訳、『聖なる侵入』(創元推理文庫 606-7)、1990 Philip K. Dick, The Divine Invasion, 1981 所載の訳者による「悪魔のいない幻影」(pp.423-438)で紹介されているディックの「宇宙創生論・宇宙論」(1978年1月23日、p.423)は、今のところ邦訳されていないようですが(たぶん)、「ディックの思想の『重要な要約』」(p.423)「の要約」(p.424)から、やはりほんの一部だけ引いておくと、 「われわれの現実が投影された構造であると措定され、ディックはこの投影をなすものを人工物と見てゼブラと呼ぶ。…(中略)…ゼブラはその造り主の鏡あるいは似姿のようなものとして、われわれの現実を創造(投影)したのであった。なぜか。造り主が『これによって自己を理解する客観的立脚点を得られるようにする』ためである。ディックはここでベーメのいう創造の根源(Urgrund)を持ちだし、『宇宙創生論・宇宙論』の以下の展開において、ゼブラの造り主をこの名称であらわす。…(中略)… デミウルゴスと同一視されるゼブラは、自分が人工物であることを知らず、創造の根源が存在することにも気づかず、自らを神、唯一の真の神であると想像する。ベーメからグノーシス主義に展開した気配だが、ディックはゼブラもゼブラの投影する世界も悪ではないと説く」(pp.425-426)。 自らを唯一の神と誤解する ◇ また下掲の『フィリップ・K・ディック・リポート』に収録されたチャールズ・プラット(浅倉久志訳)「フィリップ・K・ディック・インタビュー」(1979年5月、Charles Platt, "Interview with Philip K. Dick", 1980)より; 「 ◇ 小説内の一節、エッセイ、インタヴューでの発言をいっしょにしていいかどうかはさておき、歿後に出版されたが、執筆は『ヴァリス』に先立ち、その原型になったとされる フィリップ・K・ディック、大瀧啓裕訳、『アルベマス』(創元SF文庫 SF テ 1-13)、1995 Philip K. Dick, Radio Free Ajbemuth, 1985 から; 「ぼくは創造者ジェイムズ=ジェイムズが、宇宙の最初のナノセカンドからその最後にいたるまで、すべての重要な、もしくは有効な運動の支配者、線形的時間の集合体を前進させる決定論的過程の支配者であることを知った。しかし宇宙の …(中略)…創造のまえに立ち、被造物のまえに立つ創造者は、絶対的な力をもっているが、ぼくはジェイムズ=ジェイムズの夢から、きわめて現実的な意味において、創造者に一種の知識、ある種の決定的な予見が欠けているのを知ることができた。これは反対側にいる、力は劣るものの絶対的な智恵を持つ対抗者によって補われている。ふたつの存在がともに連携しているのだ。おそらくはふたつの部分にわかれた神だ。…(中略)…これら双子の実体が、それぞれ異なった属性を優位にして、時間の異なった地点に投影された、単一の実体のふたつのあらわれであることを、信じて疑わなかった。最初の創造者は力においてまさり、最後の創造者は智恵においてまさっている。そしてこれに加えて正当な〈王〉がいて、いつでも時間の流れの望む地点に大軍をひきつれて乗りこみ、創造に介入できるのだ」(pp.240-242/18章)。 大瀧啓裕による訳者解説「見果てぬ夢」で本作執筆、そして『ヴァリス』にいたる過程が、1974~1977年の書簡に基づいて跡づけられていますが(pp.417-451)、その中で「宇宙は逆行している」という発言に触れられています(p.420、p.444)。〈時間の逆行〉と「宇宙の終了地点に」いる存在というイメージから、 「まず、われわれが住んでいるこの万有の運行を、神がしたしく介入して主導したまい、その円環運動に手を借したまう時期と、神が万有を放置したまう時期との二つがあるのだ。この放置のほうは、万有がいくたびも周行を重ねたあげく、万有に割り当てられている時間が一定の限度の長さに達するにいたるたびに始まるのであるが、これが始まるとこんどは、万有は、その直前の時点にいたるまでの転回方向とは反対の方向へ自動的に転回していくことになる」(水野有庸訳、「ポリティコス(政治家)」、『プラトン全集 3』、岩波書店、1976、pp.232-233/269C) という、プラトーンの『 フィリップ・K・ディック、小尾芙佐訳、『逆まわりの世界』(ハヤカワ文庫 SF 526)、早川書房、1983 Philip K. Dick, Counter-Clock World, 1967 で「ホバート 「この位相が一時的、短期的なものではなく、数十兆年に一度おこるといわれるもっとも大規模な宇宙の変転過程だとしてだが」(p.16/1章) と言われたりもする一方、 「火星ではホバート と、局所的にしか起こらない、あるいは少なくとも起こる時期や地域にズレがあると設定されているようです。『逆まわりの世界』にはまた後で戻るとして、『アルベマス』での「宇宙の終了地点に」いる存在からの働きかけは、時間SFではお馴染みの、未来からの干渉というモティーフを宇宙規模に拡大したものと見なせるかもしれません。 またその存在についての、「絶対的な智恵をもってい」る「彼女、あるいはそれ」という呼び方からして、『聖書』の『箴言』第8章22-31 における先在の〈 ◇ なお上で取りあげた宇宙論はいずれも、ディックの晩年に記されたと見てよいでしょうか。ただゾロアスター教に基づくイメージは、やはり「イラン」のページの「おまけ」で挙げた、長篇第二作にあたる初期の フィリップ・Kディック、仁賀克雄訳、『宇宙の操り人形』(ちくま文庫 て-4-2)、筑摩書房、1992 所収の表題作(pp.7-231、Philip K. Dick, The Cosmic Puppets, 1956)でも採用されていました。ただし対立する二元より上位の始源を置くズルヴァーン主義ではなく、「オーマズード」と「アーリマン」の二元論的抗争が設定されています(pp.170-172/第11章)。また第14章では、「アーマイティ」(p.217)の名が挙げられます。大天使に比されることもある、六柱からなるアムシャ・スプンタの一柱にして大地の女神アールマイティにほかなりません。アールマイティについては、→"ARMAITI"(by Mary Boyce, 1986/2013) [ < Encyclopaedia Iranica ]。 ◇ 時間の逆行という設定は、先に触れた『逆まわりの世界』以外にも、 フィリップ・K・ディック、浅倉久志訳、『ユービック』(ハヤカワ文庫 SF 314)、早川書房、1978 Philip K. Dick, Ubik, 1969 でも見られました。ただし意識自体は逆行しない点などについては、『逆まわりの世界』に付された神林長平の「解説」(pp.295-303)で論じられています。 また『逆まわりの世界』では各章にエピグラフとして、聖アウグスチヌス(1、16~21章)、エリウゲナ(2、5、7~12章)、聖トマス・アキナス(3~4章)、ボナベンツーレ(6章)、ボエチウス(13~15章)と、古代末期のキリスト教教父や中世の神学者の文が引用されています。20章では、作中でのユーディ教教祖の言葉を別の人物が伝えて、 「死は存在しない。死は幻影だ。時も幻影だ。存在するようになった瞬間は決して過ぎ去りはしない。とにかく - と彼はいったわ - それはかつて存在するようになったことがないと。それは常にそこにあった。宇宙はリアリティの同心の環だ、環が大きくなればなるほど、それは絶対的リアリティをより多くわかちあう。これらの同心円の環の究極は神だ。神は万物の根源だ、そして万物は神に近づけば近づくほどよりリアルとなる。これは、神からの流出の原理だと思うわ。悪は単に、リアリティの少ない、神からより遠くへだたった環だというのよ。つまり絶対的リアリティの欠如であって、悪い神が存在するわけではないの。だから二元論は存在しない、悪い神も悪魔も存在しない。悪は腐敗のことき幻影だ。それから彼は中世の哲学者たち、聖アウグスチヌスだのエリウゲナだの、ボエチウスだの聖トマス・アキナスの言葉を盛んに引用したわ - はじめて彼らの言葉が理解できたといっていたわ。 …(中略)… エイドスは形相である。プラトンのカテゴリイのごとく - 絶対的リアリティ。それは存在する、プラトンは正しい。エイドスは受動的事物に銘記される。事物は悪ではない、それは粘土のごとく、不動であるにすぎない。むろん反エイドスもある。形相破壊の要素である。これは人々が悪、形相の破壊として経験するものだ。だが反エイドスは幻覚である。幻影である。いったん印象づけられれると、形相は永遠になる - それはたえまない進化をとげるので、われわれはこの形相を感知することができない。たとえていえば、子供が成長し大人になる、とか、現在のわれわれのように大人が縮んで子供になるといったたぐいのものだ。あたかも一人の人間が消えてしまったようにみえるが、じっさいは、それは形而上的実体、カテゴリイ、形相なのであって - なおそこに実存する。問題は知覚のそれである。われわれの知覚は限られている。なぜかというとわれわれは、ごく部分的な視界しかもっていないからだ。ライプニッツの単子論のように。 …(中略)… プロティノスやプラトンやカントやライプニッツやスピノザの焼きなおしよ」(pp.267-269)。 ◇ 「リアリティの同心の環」や「形相破壊」に通じるイメージは、 フィリップ・K・ディック、飯田隆昭訳、『死の迷宮』(サンリオSF文庫 3-B)、サンリオ、1979 Philip K. Dick, A Maze of Death, 1970 でも見られました。「聖なる『ザ・ブック』」こと「A・J・スペクトスキー著『余は如何にして死から甦りしか、汝らもまた』」(p.14/1章)に記されているとして、 「もちろん、かなり多くのことが未知のままになっている - 例えば、〈メンチュファクチュラー〉が顕在するようになった理由がそうである(こうしたものは自己創造をおこない、時間そして因果律と無関係に存在しているというスペクトスキーの説を信じるのが不満ならばの話であるが)。 …(中略)… 『神のおよぼす力の輪が拡がるにつれ、神がなす力と善と叡智は衰える。その結果、神から遠い外周部に至ると神の善をなす力は弱まり、叡智も弱まる。弱まりすぎた果てに神が形態創造行為をすることによって姿を現わした〈フォーム・デストロイヤー〉を監視することができなくなるのである。〈フォーム・デストロイヤー〉の起源は定かでない。例えば(一)初めから神とは別個の存在であり、神によって創られたものではなく、神と同様に自己創造的なものであるかどうか、(二)これも神のひとつの実相であって、他の何者でもないかどうか明言することは可能ではない -』」(pp.14-15/1章)。 「『歴史上、宇宙に出現することによって〈インターセッサー〉はおのれを犠牲に供したのである。そうすることで呪いを部分的になしくずしにすることができたのである。おのれ自身を顕現させることで - それは部分的な勝利といえるが - おのれの被創造物の救済をすることで満足した。神は〝死んだ〟 - そして〈インターセッサー〉はふたたびおのれ自身を顕現させ、呪いと死に打ち勝ったと告げ、同心円をたどって神そのものに戻ったのである』」(pp.97-98/6章)。 「神はすべてを知るわけではないとスペクトスキーも結論しています。神は〈フォーム・デストロイヤー〉が存在していることや、あるいは〈フォーム・デストロイヤー〉が宇宙を構成しているエマナシォンという同心円の環によって目覚めたことを知りません。あるいは〈フォーム・デストロイヤー〉が宇宙に侵入し、それ以後〈メンチュファクチュラー〉がおのれのイメージどおりに創り給うた宇宙を堕落させ、その結果、宇宙は〈メンチュファクチュラー〉のイメージとは似ても似つかないものに変わったことも知りません」(p.141/7章)。 「『神の歴史はいくつかの曲面を示している。 (一)〈フォーム・デストロイヤー〉が覚醒して活動するまえの清浄なる時代。 (二)神の力がもっとも弱まり〈フォーム・デストロイヤー〉がもっとも強くなった呪いの時代。この時代が生まれた理由は、神がまだ〈フォーム・デストロイヤー〉の存在に気づかず、不意を襲われたからである。 (三)地上の神が誕生した時代。絶対的な呪縛と神からの疎外の時代が終わった表われである。 (四)…(中略)…現代において神は俗世を歩き、苦しみを救い、〈インターセッサー〉としておのれの姿を顕示し、あらゆる命を救っている - …(中略)… (五)つぎにきたる最後の時代は -』」(pp.227-228/11章。改行は当方による)。 「宇宙を構成しているエマナシォンという同心円の環」というイメージは、〈 他方〈フォーム・デストロイヤー〉や『逆まわりの世界』での「反エイドス」、「形相破壊の要素」は、悪の存在をどう位置づけるかという問題に関わっているのでしょう。ゾロアスター教やグノーシス主義への関心も、この点に由来するものと思われます。「二元論は存在しない、悪い神も悪魔も存在しない。悪は腐敗のことき幻影だ」、「事物は悪ではない」、「反エイドスは幻覚である。幻影である」のだとしても、現実に苦しみは実在する。そこから「神はすべてを知るわけではない」という、創造主の限界付けも導きだされます。ゾロアスター教でも10世紀のパフラヴィー語文献の一つ『ブンダヒシュン』では、オフルマズドは「全知」、アフリマンは「無知」と性格づけられますが(野田恵剛、「ブンダヒシュン(I)」、『貿易風 - 中部大学国際関係学部論集 -』、no.4、2009.4、pp.154-155)、ズルヴァーン主義の神話では先に触れたように、ズルヴァーンは自ら行なった供犠の効果に疑念を抱き、アフリマンの懐胎を予見できませんでした。 『アルベマス』所収の大瀧啓裕「見果てぬ夢」によると、1971年7月16日付けの書簡や同7月25日付けの書簡で、ゾロアスター教に言及しているとのことですが(p.426、p.429)、この点ではむしろ、グノーシス主義的な創造神の格下げが、晩年の宇宙論につながっていったのでしょう。ただ『聖なる侵入』所載の「新アロゲネス」で大瀧啓裕が「新グノーシス主義」と呼んだように(pp.412-416)、「グノーシス主義から世界=悪論を排除する」(p.413)ことになります。 ◇ 『死の迷宮』における「A・J・スペクトスキー」の著書は、作品内で「聖なる『ザ・ブック』」と見なされていました。他方 フィリップ・K・ディック、大森 望訳、『銀河の壺なおし[新訳版]』(ハヤカワ文庫 SF テ-1-34)、早川書房、2017 Philip K. Dick, Galactic Pot-Healer, 1969 では、舞台となる 「プラウマンズ・プラネットには、この一冊しか本がないの」(p.108/7章) という書物が登場します。 「この本の著者は」…(中略)…「この惑星にいる生物または存在 - 英語でなんと呼べばいいのかわからない - の一団。プラウマンズ・プラネットで起こるすべてを記録している。大きなことも小さなこともひっくるめて、なにもかもぜんぶ」 …(中略)… 「 「それらのテキストはすべて、原テキストの翻訳。一本の糸のようなラインが過去から現在に入り、さらに未来へと入ってゆく。…(中略)…わたしたちはみんな、カレンドの時 - 時間の外にある時間 - が紡ぐ物語の中に織り込まれている」(p.112/7章)。 〈運命の書〉ないし〈天の書〉に近いもののようです。→「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「本・書物(天の書)など」や、同頁「おまけ」中のフィクションの項なども参照ください。 また『アルベマス』所収の大瀧啓裕「見果てぬ夢」によると、1974年6月28日付けの書簡で、 「二週間というもの、『巨大な本が何度もあらわれ、印刷されたページを次つぎに見せられ』、未来についての予言が含まれていると告げられた」(p.421) ことを記しているとのことです。ディックにおける本のイメージは、どんなものなのでしょうか? たとえば フィリップ・K・ディック、浅倉久志訳、『高い城の男』(ハヤカワ文庫 SF テ1-6)、早川書房、1984 Philip K. Dick, The Man in the High Castle, 1962 における『易経』もそうした中に数えることができるのかどうか。この点については、下掲の『ユリイカ』、第23巻第1号、1991.1:「特集 P・K・ディックの世界 神秘、あるいは錯乱?」所収の フィリップ・K・ディック、阿部秀典訳、「分裂症と『変化の書』」(pp.189-197) ポール・ウィリアムズ、白石 朗訳、「ディックと『易経』 - The Author and the Oracle」(pp.198-215) なども参照ください。 ◇ ディックの作品で読んでいないものはまだまだ山ほどあるのですが、宇宙論ないし神学と何の関係もない、しかし頭に残ったくだりが『高い城の男』にありました; 「記録破りのスピードで、田上はシングル・アクションのコルトをファンニングして射ちまくった」(p.297/12章)。 西部劇におけるアクションの一パターンとしての〈扇撃ち fanning shot〉というのが何やら気になっていたのでしょう、昔次のような雑文をしたためたことがありました; 「△月△日 二障堂卓也の『マカロニ・アクション大全』を一気に読みおえる。力作である。ガキの頃TVでよく見た、横幅の広い筋肉勇者の登場する史劇や挨っぽいマカロニ・ウェスタンを懐かしく思いだす。しかし見ていない者にとっては、何の意味もないのだろう。 ただ、個々の作品の評価はさておき、一つ気になるのが、マカロニ・ウェスタンを語るに際して、ファニングの語が一度も登場しないことだ。ファニング、訳して扇撃ちは、シングル・アクションのリヴォルヴァーを、引き金をしぼったまま、もう片方の手のひらで撃鉄を叩くという速射法で、『シェーン』をはじめとするハリウッド製の西部劇でも見かけたのだから、マカロニ・ウェスタンの専売特許というわけではないのだが、それにしてもやたら目立った。あきらかに命中率は落ちるはずのこの方法が愛用されたのは、何よりも見かけのインパクトゆえだろう。そしてここに、マカロニ・ウェスタンの特質が現われているような気がするのだ。 とはいえ、考えてみれば、マカロニ・ウェスタンでもファニングがもっとも効果的に活かされたのは、記憶の範囲内では『荒野の用心棒』、それに『続・荒野の用心棒』のラストくらいかもしれない。ただ、あまり評判のよくない、たしかにいささか長すぎる『ウェスタン』も、ファニングを頻出せしめたカッコつけの原理を徹底したものといえるのではないだろうか」(『蟋蟀蟋蟀』、no.3、1999.7.31、「小躍り堂日乗」より、p.8)。 ファニング・ショットが気になるのは当方ばかりでもないようです。作家のマイケル・クライトンが脚本・監督を担当した映画 『ウエストワールド』(1973) は、近未来の遊園地が舞台です。そこはヨーロッパの中世、古代ローマのポンペイ、開拓時代の西部の三部門に分かれ、ロボットを相手にした疑似体験ができます。主人公たちは西部劇部門へ向かうのですが、そこへの飛行機の中で、以前来たことがある連れの友人に、日本語字幕では 「こう撃つのをどう言う?」 と身振り付きで尋ねれば、友人は 「ファニング/なぜ?」 と答え、それに 「難しいか」 と返してクスッと笑うという場面がありました(約4分)。その後もガン・ベルトはヒモで脚に留めるのかどうか、それは早撃ちに向いているのか等と質問を続けます。いろいろ楽しみにしているわけですが、話の順は早撃ち談義が先でも変わりはないことでしょう。それをファニングの話を先に持ってきたのは、脚本上何らかの効果を想定したのかもしれません。 ともあれさらに、日本の小説から; 「引き金を絞りつづけ、左の掌で撃鉄を叩き起こす、いわゆる 「六発の銃声は、長い一発に聞こえた。右手で引き金を引きっぱなしに、左手で撃鉄をつづけざまにあおる、扇撃ち(ファニング)とよばれる射ち方だ」(菊池秀行・文 原作:B・ストーカー、『吸血鬼ドラキュラ』(世界の冒険文学 16)、講談社、1999、p.261/19章)。 以上は例によってたまたま見かけた例で、他にもまだまだあるのでしょう。 ◇ ディック論というのもいろいろあるのでしょうが、とりあえず僅かながら、見る機会のあったもの; 『ユリイカ』、第23巻第1号、1991.1、pp.51-215:「特集 P・K・ディックの世界 神秘、あるいは錯乱?」 ユービックのころ(神林長平)/キッチュな 〝聖なる侵入〟と情報空間 - 『ヴァリス』をめぐって(伊藤俊治)/チープなギャグにしてくれ - グリマング二部作を読むために(巽 孝之)/ The Anomaly Exhibition. The Singular Quest of P. K. Dick - P・K・ディックの生涯(星倉憂愁)/ 奉仕するもの(フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳)/ ディックが生きた60年代(小川 隆)/ もうひとつの「ブレードランナー」 - フィリップ・K・ディック協会会報から(秋山英時)/ 二日たっても崩壊しない世界を創るために(フィリップ・K・ディック/木村重樹訳)/ 神秘の年のP・K・ディック - 74年の書簡から(菊池 誠)/ 映画「トータル・リコール」ができるまで - フィリップ・K・ディック協会会報から(秋山英時)/ ナチズムと『高い城』()フィリップ・K・ディック/阿部秀典訳)/分裂症と『変化の書』(フィリップ・K・ディック/阿部秀典訳)/ ディックと『易経』 - The Author and the Oracle(ポール・ウィリアムズ/白石 朗訳) 早川書房編集部編、『フィリップ・K・ディック・リポート』(ハヤカワ文庫 SF テ 1-0)、早川書房、2002 巻頭カラー フィリップ・K・ディック 映像世界の迷宮 エッセイⅠ 原作映画紹介;幻視者ディックの映像世界(高橋良平)// マイ・ベストPKD;世界はディックになりつつある(恩田 陸)/洗練された「いかがわしさ」(川又千秋)/新世紀、ディックの世界観は崩壊するか?(神林長平)/絶対的な贋物(小林泰三)/フィリップ・K・ディックって誰?(田中啓文)/今こそ等身大のディックを(野阿 梓)/ディック世界の蒸留液(藤田雅矢)/グラグラ(森下一仁)// 短篇;不適応者(フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳)// 座談会;21世紀にディックを読もう!(香山リカ、中原昌也、柳下毅一郎、渡辺麻紀、司会:大森 望)// インタビュー;フィリップ・K・ディック・インタビュー(チャールズ・プラット/浅倉久志訳)// 評論;神はどこにいるのか:断章(東 浩紀)// エッセイⅡ ディック世界をより楽しむために;関連小説ガイド ディックに影響を受けた、かもしれない作家たち(中野善夫)/関連映画ガイド 世紀末映画を侵蝕するディック的世界(大場正明)/ディック世界の精神分析(香山リカ)// 資料篇;全邦訳長篇・主要短篇集解題(渡辺英樹)/フィリップ・K・ディック年譜(牧 眞司=編)など、 248ページ。 フレドリック・ジェイムソン、秦邦生・河野真太郎・大貫隆史訳、『未来の考古学 Ⅱ 思考の達しうる限り』、作品社、2012 原著は Fredric Jameson, Archaeologies of the Future. The Desire Called Utopia and Other Science Fictions, 2005 pp.196-201:「八 追悼 フィリップ・K・ディック」(1982) pp.202-227:「九 ハルマゲドン以降 - 『ドクター・ブラッドマネー』におけるキャラクター・システム」(1975) pp.228-264:「十 フィリップ・K・ディックにおける歴史と救済」(2000) +原注 pp.358-356、訳注 pp.373-369、解題 pp.344-348 ダヴィッド・ラプジャード、堀千晶訳、『壊れゆく世界の哲学 フィリップ・K・ディック論』、月曜社、2023 原著は David Lapoujade, L'Altération des mondes. Versions de Philip K. Dick, 2021 序 錯乱について/諸世界/因果/思考する事物/幻想的なもの/エントロピーと退行/世界を掌握する者たち/人工世界/デジタル人間(あるいはアンドロイドとは何か)/狩りとパラノイア/生と死のあいだで/ブリコラージュすること(あるいはランダムな変数)// 訳者解説 未来の記憶、ペシミズム、オプティミズムなど、 222ページ。 Carole Cusack, "64. Gnostic Fiction", Edited by Garry W. Trompf in collaboration with Gunner B. Mikkelsen and Jay Johnston, The Gnostic World, Routledge, London and New York, 2019 / 2020, pp.671-678 pp.675-676 で『ヴァリス』三部作が取りあげられていました。 |
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| 2026/11/05 以後、随時修正・追補 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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