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怪奇城の高い所(後篇) - 塔など

塔など
     i プロローグ 
     ii 塔の中? 
     iii 孤立した塔など 
     iv 塔の内と外 
     v 鐘塔など
 含む、鐘の鳴る楽曲をわずかばかり 
    vi 時計塔 
    vii 火の見櫓など 
    viii 灯台 
     ix 風車小屋 
     x エピローグ 

Ⅳ.塔など
 i. プロローグ
 塔の出てくる映画でまず思い浮かんだのは、『めまい』(1958、監督:アルフレッド・ヒッチコック)でした(頁は作っていませんが、「怪奇城の画廊(中篇) - 映画オリジナルの美術品など」の頁で触れました→こちら。また(完結篇)の頁でも言及することでしょう→こちらの2。→こちらの3でも触れました:「言葉、文字、記憶術・結合術、書物(天の書)など」の頁の「おまけ/ダニエレブスキー『紙葉の家』に関連して)。教会に隣接した鐘塔で(右)、前半の末尾および全体のクライマックスの二度、舞台となります。 『めまい』 1958 約1時間59分:鐘塔のある教会の外観
 中央が中空になった階段を主人公が上から見下ろすと、急激に後ずさるように映る点については(下左)、ヒッチコック、トリュフォー、山田宏一・蓮實重彦訳、『定本 映画術』、晶文社、1981/1990、pp.253-254 でヒッチコック本人が、

「階段のミニチュアをこしらえて、水平に横たえ、キャメラをふつうの位置にセットして、トラック・バックしながらズーム・アップした」

ものであることを解説してくれています(p.253)。撮影は水平に行なわれたわけですが、見ようによってはいかにもあざといこの特殊効果は、塔というもののあり方が、垂直方向への動きに基軸があることを示しているのでしょう。そこには常に、落下なり墜落の可能性がつきまといます。全体の末尾で見られる最上部の鐘楼は(下右)、しかし、前半末尾では出てこない、あるいはそもそも出てこなくてもかまわないのかもしれません。
 
『めまい』 1958 約1時間16分:鐘塔の階段、上から 『めまい』 1958 約2時間5分:鐘塔頂上の鐘楼
 さて、塔というものの諸相については、「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「塔など」の項で挙げた諸文献が糸口になってくれるそうだとして、城や館、とりわけお屋敷タイプ以上に城砦タイプの場合、独立したものであれ、城壁や本体に附属した形であれ、塔はつきものと見てよいでしょう。「怪奇城の肖像(後篇)」および「同(完結篇)」で垣間見た、ミニチュアやマット画による映画オリジナルのお城もこの例に漏れますまい。むしろフィクションであればこそ、そうした見かけが強調されることもありそうです。 
 格好の例が『猫とカナリヤ』(1927)の舞台となる館です(→そちら)。館自体が何本もの塔の集積として成りたっているかのようです。
 他方、この館の外観は、少なくとも映画の中で見られるかぎりで、屋内の様子とは何ら関連づけられていません。
  
『猫とカナリヤ』 1927 約5分:館の外観
 二階が寝室区画らしいのは定型(?)に則っていますが、一階はやや変則的でした。大広間の類は登場せず、玄関から長い廊下を経て、二階への主階段、書斎や食堂、主の寝室などが配されるというものです。いずれにせよ、二階より上の階や塔の内部を指し示すものは見かけられませんでした。その代わりといっていいものかどうか、隠し通路が重要な役割を果たします。


 ii. 塔の中?

 城館の外観に塔があるからといって、映画の中で塔の中が映されるとはかぎらないのは、三階以上の場合と同じです。
 外観では塔がよく目立つ場合、たとえば『古城の扉』(1935)では、玄関前に集まってきた人々を高い所から見下ろす構図や(下左→あちら) 、塔の前に立つ人物を低い位置から見上げる眺めが出てきました(下右→あちらの2)。また一階の大広間と二階は特徴的な階段で結ばれているのですが、やはりその上の階や塔内は出てきません。その代わりといっていいものかどうか、封印された部屋とその中の落とし穴が重要な役割を果たします。
『古城の扉』 1935、約1分:城、玄関前、俯瞰 『古城の扉』 1935、約29分:城の外観、仰角
 『古城の妖鬼』(1935)では、二階建て+屋根の本棟に対し、角塔はいやに大きく見えます(→ここ)。しかし、屋内で出てくるのはやはり、大階段に通じる吹抜歩廊まででした。代わりにといっていいものか、地下の空間に、本筋に絡むかどうか、いささか微妙な位置が与えられています。   『古城の妖鬼』 1935、約4分:城、外観
 逆に、塔の内側かもしれないのに、外観とは結びつけられないままという場合もあります。
 『らせん階段』(1945)では、玄関広間の突き当たりにある主階段とは別に、サーヴィス通路的な螺旋階段が設けられています(→そこ)。壁が湾曲して円筒形をなし、窓も配してある点からして、壁から突き出した小塔ないし張出櫓をなしてるのではないかと思われるのですが、それを証する屋敷の外観は出てきませんでした。
『らせん階段』 1945 約58分:螺旋階段、二階から降りてきたあたり 下から
 『惨殺の古城』(1965)(下左→あそこ)や『呪いの館』(1966)(下右→こっち)も同様でしょうか。前者の場合は隠し扉から入るという設定なので、外観には反映されないと読みこめなくもないかもしれません。玄関なのかどうか、屋内に入ってすぐのところにあった後者の螺旋階段はどうなのでしょう?         
『惨殺の古城』 1965 約58分:隠し螺旋階段、ほぼ真上から 『呪いの館』 1966 約36分:第一の螺旋階段
 ところで『らせん階段』ではオープニング・クレジットの際、真上から捉えられた螺旋階段が背景に選ばれていました(下左→そこの2)。左上の『惨殺の古城』における同巧の構図は、『呪いの館』でも何度も見られました(下右→こっちの2)。あまつさえ後者の場合、ぐるぐると回転します。
 冒頭で触れた『めまい』におけるトラック・バック×ズーム・アップが連想されたりもする。ただ『めまい』での直線運動と、『呪いの館』の回転では、ニュアンスに微妙な違いが生じているようにも思われます。墜落するかもしれないという不本意な揺動に対し、回転することで助走しながら、助走するだけ時間を余計にかけて、謎の深奥へ吸いこまれる、ないし潜りこむといったところでしょうか。
 
『らせん階段』 1945 約1分:タイトル・バック、螺旋階段、真上から 『呪いの館』 1966 約1時間18分:螺旋階段、真下から
 頁は作っていないのですが、「怪奇城の広間」の頁で触れた『恐怖 ブランチヴィル(ブランシュヴィル)の怪物』(1963、監督:アルベルト・デ・マルティーノ→あそこ)に、登場人物が幅の狭い、長い階段を昇る場面がありました(下左)。別の場面で、右手に映った方形の塔らしき棟のさらに右に隣接する円塔、その上の方の窓に灯りがともっていました(下右)。階段を昇った先はここではないかと思われます。ただ階段は、螺旋や方形を描くものではなく、まっすぐ伸びていました。途中に一つないし二つ踊り場があって、上から見下ろして右の方へ入ることができるようです。とすると階段のある空間を塔と呼んでいいものかどうか。ともあれ階段を昇った先では、悲鳴をあげずにおれないような事態に出くわし、階段を駆け下りることになるのでした。 
『恐怖 ブランチヴィル(ブランシュヴィル)の怪物』 1963 約16分:塔の階段、上から 『恐怖 ブランチヴィル(ブランシュヴィル)の怪物』 1963 約1分:雨の夜の城、外観
 『悪徳の栄え』(1963)では螺旋階段を昇った先に(下左)、木組みの三角天井の部屋がありました(下右→あそこの2)。屋根裏でしょうか。階段の途中には窓がありました。外観がどうなっているかは、やはりわかりませんでした。  
『悪徳の栄え』 1963 約1時間14分:城 螺旋階段、上から 『悪徳の栄え』 1963 約1時間14分:城 螺旋階段を上がった先の部屋
 『悪徳の栄え』と同じくロジェ・バディムが監督した『世にも怪奇な物語』(1968)第1話「黒馬の哭く館」には、円形らしき狭い廊下が登場します(下左→こなた)。天井は斜めになっているので、最上階らしい。塔かどうかはわからない。別の場面では相似た、ただし直線の廊下が見られました(下右→こなたの2)。
『世にも怪奇な物語』 1968 約5分:第1話 円形廊下 『世にも怪奇な物語』 1968 約16分:第1話 直線状廊下+豹
 『淫虐地獄』(1971)にも幅の狭い、円形らしき廊下が出てきます(下左→そなた)。すぐ後の場面からして、こちらは塔の最上部にあるものとの設定でした(下右)。そこから人が墜落することになるでしょう。円塔に角塔をくっつけた、面白い形状をしています。 
『淫虐地獄』 1971 約1時間11分:円をなす狭い廊下 『淫虐地獄』 1971 約1時間13分:円塔など、下から

 iii. 孤立した塔など


 さて、独立した塔といえば、怪奇映画周辺では『フランケンシュタイン』(1931)およびその続篇『フランケンシュタインの花嫁』(1935)の見張塔 watchtower が代表格でしょう(下左→あなた)。ごつごつと角張って、やや先細りの形態をしています。『花嫁』でもほぼそのまま踏襲されました(下右→あなたの2)。
『フランケンシュタイン』 1931、約14分:見張り塔、夜の外観 『フランケンシュタインの花嫁』 1935、約56分:見張り塔
 塔の中核をなすのは、実験室として用いられていた空間です。けっこう広く、片側の天井から壁にかけて段々になっています(下左が正篇、下右は『花嫁』より)。
『フランケンシュタイン』 1931、約14分:実験室 『フランケンシュタインの花嫁』 1935、約57分:見張り塔、実験室
 段状の壁は、1943年版『オペラの怪人』における地底湖周辺を思わせなくもないかもしれません(下左→あなたの3)。また『花嫁』では、屋上に通じるらしき階段が設けられていました(下右)。
『オペラの怪人』 1943 約1時間25分:地下貯水池、壁沿いの通路 『フランケンシュタインの花嫁』 1935、約1時間5分:実験室、俯瞰 左端に屋上への階段
 実験室は二階に当たり、一階では、塔全体の入れ子のような、上細りの柱だか壁が容積のかなりの部分を塞いでいました。二階と一階を結ぶ階段はこの柱の周りを巡るように湾曲しています(下左が正篇、下右は『花嫁』より)。
『フランケンシュタイン』 1931、約17分:見張り塔、入口附近へ降りる階段 『フランケンシュタインの花嫁』 1935、約59分:見張り塔、2階と1階を結ぶ階段
 正篇ではこの柱を穿って、地下室が設けられていました(下左)。なお 『女ドラキュラ』(1936)でも、『花嫁』における階段部分のセットが用いられていました (下右→あなたの4)。
『フランケンシュタイン』 1931、約39分:見張り塔、地下室 『女ドラキュラ』 1936、約1分:階段
 実験室から屋上まで、手術台を持ちあげられるよう、吹抜状に貫かれています。屋上には雷を呼びこむための装置が配置されていました(下左が正篇、下右は『花嫁』より)。
『フランケンシュタイン』 1931、約14分:見張り塔、屋上附近 『フランケンシュタインの花嫁』 1935、約1時間8分:見張り塔、屋上
 見張塔と呼ぶには、この塔はずいぶん規模が大きいようです。塔という形は、天と地、雷電とそれによって生命を与えられるべき屍骸のパッチワークを結ぶ垂直性に応じているのでしょう。また生活空間からは切り離された領域として、山上に孤立する塔が、居城とは別に設定されたのかもしれません。
 『フランケンシュタイン』における実験室とそこで行なわれた生命創造の場面は、ある種の範例となるだけの訴求力を有していたのでしょうか、『フランケンシュタインの怒り』(1964)でも再現されました(下左→あなたの5)。この作品では実験室は孤立した塔ではなく、居城の地下ないし半地下にあったのですが、塔頂まで吹抜が貫き、雷電を呼びこむ装置も配してありました。
 『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)では、正篇および『花嫁』での器具類を保管していた制作者から借り受けて撮影されたという(下右→あなたの6、および→あなたの7)。やはり離れの塔ではなく、城内です。
 エピローグで触れる『ヴァン・ヘルシング』(2004)も同巧の例としてあげることができましょう。
『フランケンシュタインの怒り』 1964 約21分:塔の頂きと避雷針 『ヤング・フランケンシュタイン』 1974 約41分:実験室、天井附近から
 他方、孤立した塔を復活させたのは『フランケンシュタインと僕』(1996、監督:ロバート・ティンネル)です(やはり頁は作っていませんが、→あなたの8でも触れました:『ドラキュラとせむし女』(1945)の頁の「おまけ」)。下1段目左は冒頭の空想ないし妄想の場面での見張塔です。先細りの角張ったさまも再現されています。下1段目右はその屋内、実験室の様子です。
 下2段目の左右は、物語内の現実において、フランケンシュタインの塔に相当する建造物です。廃鉱となった「コールドウェル鉱山 Caldwell Mining Co.」の敷地にある施設で、壁をなす薄い板がいかにもぺらぺら剥がれ落ちそうではあるものの、だから逆に、映画のセットであることをそのまま体現していると見なせなくもないかもしれません。本篇中最後の「再現」となるミイラ男のコーナーが、映画の撮影現場として描かれていたのと呼応しているといっては、深読みが過ぎるでしょうか。
『フランケンシュタインと僕』 1996 約2分:空想のフランケンシュタインの塔 『フランケンシュタインと僕』 1996 約4分:空想のフランケンシュタインの実験室
『フランケンシュタインと僕』 1996 約52分:廃鉱の施設 『フランケンシュタインと僕』 1996 約48分:廃鉱の施設
 余談になりますが、watchtower といえば;

Jimi Hendrix Experience, Electric Ladyland, 1968(邦題:ジミ・ヘンドリックス、『エレクトリック・レディランド』)(→こちらも参照:「アメリカ大陸など」の頁の「おまけ」)

 二枚組のD面3曲目(日本版ではB面3曲目)
"All Along the Watchtower"(「ウォッチタワー」、3分58秒)が連想されます。原曲はボブ・ディランによるもので、日本語版ウィキペディアの該当頁(→そちら)によると、「イザヤ書」第21章が発想源だという;

「その時、見張びとは呼ばわって言った、
『主よ、わたしがひねもすやぐらに立ち、
夜もすがらわが見張所に立っていると、
見よ、馬に乗って二列に並んだ者がここに来ます』。
彼は答えて言った、
『倒れた、バビロンは倒れた、
その神々の像はことごとく打ち砕かれて
地に伏した』」
 (「イザヤ書」21章8-9、『聖書』、日本聖書教会、1976、p.969上段。
  英語版ウィキペディアの該当頁(→そちらの2)の一番下、"External links"の一番上に挙げられたサイト [ Mechon Mamre ]に掲載された英訳(→そちらの3)では、21章8は
And he cried as a lion: 'Upon the watch-tower, O Lord, I stand continually in the daytime, and I am set in my ward all the nights.')。
 ついでに;

人間椅子、『未来浪漫派』、2009(1)

 メジャー15枚目の8曲目は「塔の中の男」、8分54秒。
 
1. 『人間椅子 椅子の中から 人間椅子30周年記念完全読本』、シンコー・ミュージック・エンタテイメント、2019、pp.182-185。

 同じバンドの別のアルバムから→こちらを参照:「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「おまけ
 脇道をもう一つ、『女ドラキュラ』とセットの一部を共有する『透明光線』(1936)における城の外観は、塔が三基並ぶという、興味深いものでした(右→あちら)。左端の尖り屋根の塔附近は居住域らしい。冒頭でヒロインは居住域から、まず真ん中の半球型のドームを通り抜けます(下左)。中央になにやら装置を据えつけたここが、『女ドラキュラ』でも見られたセットでした。次いで右端の、やはり半球型ドームの塔内部は、望遠鏡を設置した観測室です(下右)。同じセットを模様替えしたのかもしれません。 『透明光線』 1936、約1分:城、外観
『透明光線』 1936、約4分:実験室のドーム~『女ドラキュラ』の空間 『透明光線』 1936、約4分:望遠鏡のドーム
 戻って独立した塔が重要な位置を占める作品に、こちらも頁を作っていない『ブラザーズ・グリム』(2005、監督:テリー・ギリアム)がありました。森の中の開けた場所にぽつんと塔が立っています(下左)。最上階の部屋はあるものの(下右)、地上からの入口も階段もこの塔にはないようです。
 『ブラザーズ・グリム』 2005 約33分:森の中の塔  『ブラザーズ・グリム』 2005 約1時間11分:塔の最上階
 この塔はラプンツェルの話から来ているのでしょう。『グリム童話集』では

「その塔というのは、森のなかにあって、はしご段もなければ出はいりの戸もなく、てっぺんにちいさな窓が一つあるぎりでした」
  (金田鬼一訳、『完訳 グリム童話集 1』(岩波文庫 赤413-1)、岩波書店、1979、「14 野ぢしゃ(ラプンツェル)」、p.135)

と語られていました。

 ちなみに諸星大二郎は、二度にわたってラプンツェルを取りあげています;

 「ラプンツェル」(2004)、『スノウホワイト グリムのような物語』、東京創元社、2006、pp.99-122

 「ラプンツェル」(2005)、『トゥルーデおばさん グリムのような物語』(ソノラマコミック文庫 も 16-4)、朝日新聞社、2009(2006刊本の文庫版)、pp.197-252

『スノウホワイト』の「解説及び自作解題」には、

「向こうのは少女の心の物語だが、こちらのは少々ベタなSFの設定になってしまった」(p.231)

とありました。
 諸星大二郎については→ここも参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「諸星大二郎」の項


 また

山岸凉子、「ラプンツェル・ラプンツェル」(1974)、『ティンカー・ベル』(サンコミックス)、朝日ソノラマ、1975、pp.55-95

 山岸涼子については→ここの2も参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「山岸涼子」の項


 他にもいろいろあることでしょう。未見ですが、後ほど灯台のところで触れるレイ・ハリーハウゼンも、モデル・アニメーションによる短篇を制作したそうです(レイ・ハリーハウゼン/トニー・ダルトン、矢口誠訳、『レイ・ハリーハウゼン大全』、河出書房新社、2009、pp.48-49、p.51)。


 iv. 塔の内と外

 話を戻すと、『呪われた城』(1946)では、ヴィンセント・プライス扮するニコラスが塔に籠もります。マット画らしき館の外観には、画面中央附近、おそらく玄関脇に、頂が鋸歯型胸壁に囲まれたもの、および向かって右端に尖り屋根のものが描きこまれていました(下左→そこ)。ただしどちらが当主の籠もり場所なのかはわかりません。
 後に二度ほど出てくる夜の外観では、やや斜めから、やや見上げるような角度で捉えられれます(下右)。そのため右端の尖り屋根の塔は視野からはみ出し、玄関脇の塔だけが映る。後者が強調されることで、お話の中に出てくる塔との対応を暗示しているといっては、深読みになるでしょうか。本作に限らず一般に、マット画や模型で城や館の外観を制作する際、どこまでお話の中身との関連が配慮されているものなのでしょうか?
『呪われた城』 1946 約14分:館の外観、望遠鏡越しに 『呪われた城』 1946 約15分:館の外観、夜
 とまれ、ニコラスが塔を降りてきて、二階廊下に出る場面が二度ほどあって、その後ヒロインが塔の部屋を訪れます。二階はやはり、寝室区画のようです。
 二階廊下の床から数段上がって入口となります(右→そこの2)。壁が積み石の短い通路を抜けると、また上への階段です(下左)。欄干がおそろしく濃い影を落としている。上がった先が塔の部屋でした(下右)。さほど広くはないようです。
『呪われた城』 1946 約1時間22分:塔への階段、上から
『呪われた城』 1946 約1時間22分:塔内の階段 『呪われた城』 1946 約1時間22分:塔の部屋
 隠れ場所はそれが塔であることによって、周囲からの隔絶が含意されます。物語の上では、ニコラスは時代の流れに適応できずにいるため、自ら塔に籠もったはずなのに、それは同時に、余儀なくされた、ひいては強いられた幽閉をも意味しているのでしょう。
 『回転』(1961)における角塔は(→あそこ、およびあそこの2)、館本体とつながっているようですが、屋内から直接入っていく場面は出てきませんでした。そもそもこの作品では、館の外観は遠くに見えるだけで、全体がどんな風なのかはっきりしません。そして塔は、主人公が地面から見上げるという視角で映されます。塔の上に誰かいると主人公は思うのですが、仰角は視線が主観的なものであること、ひいては客観性がおぼつかないことを暗示してでもいるのでしょうか。   『回転』 1961 約1時間13分:夜の角塔、下から
 ともあれ主人公は庭に面した扉から入って、中央をあけた階段を昇っていきます(下左(→あそこの3)。この作品では屋上も画面に映されました(下右)。主人公が見かけた人物がいなかったことを示すためなのでしょう。 
『回転』 1961 約32分:角塔内の階段、下から 『回転』 1961 約32分:角塔の屋上
 (中篇)の頁で触れた『たたり』(1963)における螺旋階段のある図書室が(→こっち)、原作同様塔の中にあるというわけではないのだとすれば、映画版では塔の中には入らなかったことになります。
 『回転』の場合と同じく、著しい仰角で見上げられる塔は(下左→こっちの2)、視線の主による主観的で一方的な感情だけでなく、そうした感情を引きおこした対象の側からのアプローチ、すなわち塔の方がヒロインを見下ろす視線による相互反応を物語っていたのではありますまいか。これは上方から下方を俯瞰するショットによって示されていたように思われます(下右)。
  
『たたり』 1963 約1時間0分:バルコニーから角塔を見上げる 『たたり』 1963 約1時間1分:角塔からバルコニーから見下ろす
 『ヨーガ伯爵の復活』(1971)の主な舞台となる屋敷で、建物内の各空間の位置はよくわからないのですが、塔は主な棟から伸びあがっているようです(右→そっち)。
 クライマックスでは、塔内の狭い階段で追跡劇が演じられ、最上部の展望台だか鐘楼に至ります(下左右→そっちの2)。ここでも墜落という出来事が起こる。
 ちなみに『吸血鬼と踊り子』(1960、監督:レナート・ポルセリ)でも、塔かどうかはわからないのですが、狭い階段から屋上へ至る攻防がクライマックスでした。ただし墜落は起こりません。
    
『ヨーガ伯爵の復活』 1971 約0分:塔、下から 
『ヨーガ伯爵の復活』 1971 約1時間29分:館、狭い階段 上から 『ヨーガ伯爵の復活』 1971 約1時間30分:館、狭い階段 上から
 『催淫吸血鬼』(1971)ではロケ先の北フランス、エーヌ県のセモン城 Château de Septmonts、とりわけ出入りの多い形状の主塔 Le donjon を見ることができます(下左→あっち、またあっちの2)。下右は五階と数えるのでいいのでしょうか、その周囲を巡る石落としの回廊を上から見下ろしたもの。それに先だって登場した、赤い照明を当てられた螺旋階段も、同じ主塔で撮影したのでしょうか(右→あっちの3)?  『催淫吸血鬼』 1971 約5分:螺旋階段、真上から
『催淫吸血鬼』 1971 約7分:主塔の外観、下から 『催淫吸血鬼』 1971 約7分:石落としの回廊、上から
 『催淫吸血鬼』と同じくジャン・ロランが監督した『レクイエム』(1971)は、セーヌ川沿いのラ・ロシュ=ギュイヨン城 Château de La Roche-Guyon の本館の背後の丘の上に聳える主塔 le donjon でロケされました(右→こなた、またこなたの2)。 『レクイエム』 1971 約20分:城の外観
 ある場面では、円塔の中央に開く吹抜を、はじめ上から見下ろしていたカメラは、ゆっくり上向きに首を振っていき、最後に屋上を高い位置から見下ろすことになります(右→こなたの3)。向こうの方に見えるのはセーヌ川でしょうか。
 塔の空洞になった内壁という点では、『長靴をはいた猫』(1969)のクライマックスと比べることができるかもしれません(下→そなた)。螺旋状の動きによる追跡や攻防のイメージは、該当頁で触れた『劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード』(2000、監督:浅香守生) だけでなく、具体的に思い出せないでいるのですが、他でも見かけたような気がします。


『長靴をはいた猫』 1969 約1時間14分:魔王の城 塔の内部、上から

『長靴をはいた猫』 1969 約1時間14分:魔王の城 塔の内部、真上から

『長靴をはいた猫』 1969 約1時間16分:魔王の城 塔の頂き附近    
『レクイエム』 1971 約1時間2分:円塔(?)の屋上 上から

『レクイエム』 1971 約1時間2分:円塔内(?)の開口部と屋上への階段 上から

『レクイエム』 1971 約1時間2分:円塔内(?)の開口部 上から

『レクイエム』 1971 約1時間1分:円塔内(?) 上から
 『処刑男爵』(1972)はウィーン近郊のクロイツェンシュタイン城で撮影されました(→あなた)。屋内に螺旋階段があります(下左)。一階部分では装飾的な格子で囲ってある。この階段をのぼった先の、最上階は「塔の上」と本篇中で呼ばれます(下右)。ここが事件の発端となる場所でした(→あなたの2)。  
『処刑男爵』 1972 約16分:螺旋階段、上から 『処刑男爵』 1972 約23分:螺旋階段を上がりきった先
 やはりクロイツェンシュタイン城がロケ先だった『ターヘル・アナトミア - 悪魔の解体新書 -』(1968)でも、同じ螺旋階段と吹抜の頂の階が見られます(下左右→こちら)。人が墜落することになります。 
『ターヘル・アナトミア - 悪魔の解体新書 -』 1968 約1時間17分:螺旋階段、真上から+装飾格子の影 『ターヘル・アナトミア - 悪魔の解体新書 -』 1968 約1時間18分:螺旋階段を上がった先、奥への扉
 ところで『ターヘル・アナトミア - 悪魔の解体新書 -』には、吹抜がずいぶん高くまで伸びあがる、厩舎だか干草倉庫が出てきます(下左→こちらの2)。ロケ地が同じ先のピーター・セラーズ主演版『ゼンダ城の虜』(1979、監督:リチャード・クワイン)でも見られました。「怪奇城の肖像(幕間)」の頁でも触れましたが(→こちらの3)、どういった空間なのでしょうか?(追補:気づかずにきましたが、壁沿いに木組みの通路や階段が設置されている点からすると、『処刑男爵』内では地下という設定だった広間(下右→→あなたの3)と同じ場所なのでしょうか)。
『ターヘル・アナトミア - 悪魔の解体新書 -』 1968 約48分:過去 厩(?)と何層もの回廊、上から 『処刑男爵』 1972 約41分:地下広間の中二階(?)歩廊と階段

 v. 鐘塔など
     含む、鐘の鳴る楽曲をわずかばかり

 本頁冒頭で挙げた『めまい』に出てきたのは鐘塔でした。鐘塔ないし鐘楼の場合、鐘の鳴る音が大きな役割を果たすことが予想されます。この点では

 ドロシー・L・セイヤーズ、浅羽莢子訳、『ナイン・テイラーズ』(創元推理文庫 M セ 1-10)、東京創元社、1998

などもありましたが、中身はすっかり忘れてしまいました。ともあれこの作品もそうですが、欧米圏で鐘といえば教会とセットになっていることが多いようです。この後触れるほんの少しばかりの作品も、例に漏れません。日本なら安珍・清姫の物語に出てくる鐘が、道成寺にあったことが思いだされます。日本における鐘のイメージについては、

 福井栄一、『蛇と女と鐘』、技報堂出版、2012

で幅広く取りあげられていました。道成寺の鐘の話は、第3章と第4章で扱われています。また第2章(1)は「沈鐘伝説とは」と題されていました。この本はもっぱら日本の文芸に見られる例を主題にしているのですが、この節の末尾ではハウプトマンの戯曲『沈鐘』(1896)に触れています(pp.175-177)。この戯曲の邦訳は

 ハウプトマン、阿部六郎訳、『沈鐘 独逸風の童話劇』(岩波文庫 32-428-2)、岩波書店、1934

また日本の鐘といえば、

 『獄門島』(1977、監督:市川崑)

もありました(横溝正史の原作は未読)。


 やはり映画の領域では、遡って、頁未作成の『ノートルダムの傴僂男』(1923、監督:ウォーレス・ウォースリー)などが思い浮かびます(下左)。物語の中のどこに位置するかは異なりますが、原作邦訳にカジモドが

「クモがハエをねらうみたいに、鐘が近づくのを待ちかまえていたかと思うと、いきなり必死になってとびつく。そして、深淵の上に宙づりになり、鐘の恐ろしい揺れでふり動かされながら、青銅の怪物の耳をつかみ、両ひざで銅を締めあげ、両方のかかとで拍車をかけ、とびついたショックと全身の重みとで狂気じみた鐘の響きをますます激しくする」
 (ユゴー、辻昶・松下和則訳、『ノートル=ダム・ド・パリ(上)』(岩波文庫 赤 532-3)、岩波書店、2016、pp.308-309/第4編3
  ユゴーについて→そちらも参照:「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀)」の頁の「ユゴー」の項)

というくだりがありました。けっこう印象に残るイメージと見なされたのか、たまたま、下右のような挿絵に出くわしました。
『ノートルダムの傴僂男』 1923 約1時間17分:鐘と戯れるカジモド

このあたりのイメージが「エジプト」の頁の「おまけ」でも挙げた(→そちらの2)、デイヴィッド・サーカンプの甲高いヴォーカルが印象的な、USAのプログレ成分入りバンドの二枚目

 Pavlov's Dog, At the Sound Of Bell, 1976(邦題;パブロフス・ドッグ『条件反射』)

のジャケットなどにつながっていったのでしょう。
ルイ・スタネイユ(シュタインハイル)《鐘撞きカジモド》(ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』第四編扉絵) 1844
ルイ・スタネイユ(シュタインハイル) (1814-1885)
《鐘撞きカジモド》
(ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』第四編扉絵)
1844

* 画像の上でクリックすると、拡大画像とデータを載せた頁が表示されます。
追補:パブロフス・ドッグの2枚目には鐘が鳴る音は入っていませんでしたが、それを組みこんだ曲はいろいろあることでしょう。とりあえず思い浮かんだのが、『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(1963)の頁の「おまけ」で挙げた;

 Black Sabbath, Black Sabbath, 1970(邦題:ブラック・サバス、『黒い安息日』)

 のタイトル・チューン、A面1曲目の"Black Sabbath"でした。吹き荒れる雷雨とともに、あまり大きくない音で鐘が鳴る。三つの音からなるリフが始まっても、ヴォーカルが出てくる前まで、鐘は鳴り続けます。

 知人に教えてもらったアルバムで、

 Arvo Pärt, Tabula Rasa, 1984

 2曲目"Cantus in memory of Benjamin Britten"(5分0秒、シュットゥガルト国立オーケストラ、指揮:Dennis Russell Davies)でも、音量が徐々に大きくなりつつ反復される旋律のさなかに、やはりあまり大きくない音で鐘が鳴り続けます。同じ曲を別の編曲で;

 加藤訓子、『カントゥス ~ ペルト/ライヒ/ハイウェル・デイヴィス』、2013

 3曲目「カントゥス~ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、6分27秒。加藤訓子編曲で、マリンバとチューブラベルによる演奏。
 ペルトの別の曲とそれを加藤訓子が編曲したもの→「マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡」の頁の「おまけ」で挙げました。

 Egg, The Polite Force, 1971(1)

 2枚目の3曲目(元のLPではA面後半)"Boilk"は、1枚目 Egg (1970)でA面ラスト、7曲目と同名ですが、1分4秒から9分23秒と拡大されました。日常的な音やテープ操作した音をつなぎあわせた実験的な曲で、始めの方で鐘が鳴ります。
1. 松井巧監修、『カンタベリー・ミュージック(Artists & Disc File Series Vol.5)』(ストレンジ・デイズ12月号増刊)、2004、p.180。
 深見淳・松崎正秀監修、『UKプログレッシヴ・ロック メインストリーム・エディション~The Golden Era』(THE DIG presents Disc Guide Series #017)、シンコーミュージック、2004、p.91。
 別のアルバムから→「図像、図形、色彩、音楽、建築など」の頁の「おまけ

 Virginia Astley, Promise Nothing, 1983(邦題;ヴァージニア・アストレイ、『プロミス・ナッシング』)(2)

 「これまでに発表した2枚のEPを中心に編集(カナダのサイアー・レコード編集)したアルバム」(赤岩和美、ライナーノーツより)とのことで、そのB面4曲目が"A Summer Long Since Passed"(「すぎさりし夏」)、4分43秒。歌はスキャット。
 この曲は坂本龍一がプロデュース・編曲・ミキシングした、続くフル・アルバム Hope in a Darkened Heart (1986)にも再録されました。やはりB面4曲目、4分37秒。ただし鐘の音や小鳥の鳴き声は入っていないようです(たぶん)。
2. 『フールズ・メイト』、no.26、1983.4、p.89。
 『フールズ・メイト』、no.31、p.68、p.79。
 阿木譲、『イコノスタシス』、impetus、1984、p.216

Dead Can Dance, Aion, 1990(邦題;デッド・カン・ダンス『エイオン』)

5枚目の6曲目"As the Bell Rings the Maypole Spins"(「鐘の音とともに五月柱(メイポール)は回る」、5分160秒)の曲中、音として鐘の音は聞こえません(たぶん)。ところが曲が終わったとたん、鐘が鳴るのでした。7曲目の"The End of the Words"(「結詞」)です。2分5秒。
 他にもあるかもしれません。とりあえず同じバンドの前作、4枚目の

Dead Can Dance, The Serpent's Egg, 1988

のA面2曲目、“Orbis de ignis”(1分35秒)、およびB面1曲目、“Chant of Paladin”(3分48秒)でも鐘が鳴ります。
 他のアルバムから、など→こちらに挙げました;『インフェルノ』(1980)の頁の「おまけの2


黒百合姉妹、『最後は天使と聴く沈む世界の翅の記憶』、1990/2006

1枚目の1曲目「最後は天使と聴く沈む世界の羽根の記憶」、3分16秒。「翅」が「羽根」に変わっているのはなぜなのでしょう?
 また2枚目

黒百合姉妹、『夜が星をしたがえて』、1991/2006

のやはり1曲目"White of Snow"でも鐘が鳴ります。2分21秒、器楽曲。
 1枚目から別の曲を→『黒猫』(1934)の頁の「おまけ」で挙げました。

 The Dukes of Stratosphear, Chips from the Chocolatre Fireball, 1987(3)

 ミニ・アルバムでの1枚目 25 O'Clock (1985)とフル・アルバムでの2枚目Psonic Psunspot (1987)を合わせたCD、元の1枚目のタイトル曲でA面1曲目、今回も1曲目の"25 O'Clock"、5分1秒。チクタクチクタクいう音で始まり、時鐘が鳴ります。曲の最後では、時計が壊れたのかのような効果音で終わる。
 
3. 『CROSSBEAT presents サイケ・ポップ』、シンコーミュージック・エンターテイメント、2014、pp.124-125、p.150。
 このバンドは XTC の変名なので、→こちらも参照:『恐怖のロンドン塔』(1962)の頁の「おまけ
 
 近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁の「山田正紀」の項で挙げた

 Lacrymosa, Bugbear, 1994

所収の"Vision II. The Chuckle Laughter in the Question"では時計のカチコチいう音が終始鳴り続け、末尾近くなって時鐘が響きます。

 規則的に鳴る鐘の音、分散和音状の鐘の音、そして合唱によるヴォカリーズを主体にしたのが、

 Nox Arcana, Transylvania, 2005

の15曲目、"Gothic Sanctum"、2分43秒。
このアルバムでは、→こちら(「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「おまけ」)で挙げた曲などでも鐘が鳴ります。 


 演奏が終わってから鐘の音が聞こえてくるのは、「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「おまけ」で挙げた

 Septicflesh, Communion, 2008

 の1曲目 "Lovecraft's Death"でした。
 演奏は終わっていないけれど、クライマックスで鐘が鳴るのは

 Mike Oldfield, Tubular Bells, 1973(邦題:マイク・オールドフィールド、『チューブラー・ベルズ』)(4)

AB面あわせて1曲の器楽曲の内、A面のラスト近く、演奏に使われた楽器なのでしょう、一つづつ司会が紹介する、そのトリをつとめるのが、タイトルにあるチューブラー・ベルズです。
 ちなみに2枚目、

 Mike Oldfield, Hergest Ridge, 1974(邦題:マイク・オールドフィールド、『ハージェスト・リッジ』)

でも、やはりA面のラスト近くで鐘が鳴ります。

 マイク・オールドフィールドの他の曲→こちらでも挙げました:「バルコニー、ヴェランダなど - 怪奇城の高い所(補遺)」の末尾
4. 『マーキー別冊 ブリティッシュ・ロック集成』、マーキームーン社、1990、pp.163-164。
 大鷹俊一監修、『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・プログレッシヴ・ロック』、音楽之友社、1999、p.24。
 『200CD プログレッシヴ・ロック』、立風書房、2001、p.62。
 深見淳・松崎正秀監修、『UKプログレッシヴ・ロック メインストリーム・エディション~The Golden Era』(THE DIG presents Disc Guide Series #017)、シンコーミュージック、2004、p.44。
 立川芳雄、『プログレッシヴ・ロックの名盤100』、リットーミュージック、2010、p.69。
 大鷹俊一監修、『レコード・コレクターズ増刊 プログレッシヴ・ロック』、2010、p.101。
 岩本晃一郎監修、『ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック100』(Masterpiece Albums vol.2)、日興企画、2012、p.54。
 『別冊カドカワ vol.1 総力特集 プログレッシヴ・ロック』、2012、p.162。
 坂本理、「マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』」、『THE DIG プログレッシヴ・ロック featuring 太陽と戦慄』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2013、pp.130-137。
 曲の始めでも終わりでもなく、ちょうど真ん中あたりで、柱時計っぽい鐘の鳴るのが;

 イル・ベルリオーネ、『イル・ベルリオーネ』、1992(5)

日本のバンドの1枚目、1曲目「静電気旅館」でした。器楽曲、6分15秒。
 
5. 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、p.239。 
 こちらもちょうど真ん中あたりで、これは演奏による鐘の鳴るのが;

 Änglagård, Prog på Svenska. Live in Japan, 2014(邦題:アングラガルド、『ライヴ・イン・ジャパン 2013』)

器楽合奏を主軸に、暗黒趣味を漂わせる90年代スウェーデンのシンフォニック・ロック・バンドによる日本でのライヴ、2枚組の1枚目冒頭、未発表曲"Introvertus Fugu part 1"(「内向的な河豚 パート1」)、6分56秒、器楽曲。


 Rick Wakeman, The Six Wives of Henry VIII, 1973(邦題:リック・ウェイクマン『ヘンリー八世の六人の妻』)(→「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ」参照)

すべて器楽曲の全6曲中3曲の随所で、鐘が鳴ります;A面3曲目"Catherine Howard"(「キャサリン・ハワード」、6分45秒)、B面2曲目"Anne Boleyn 'The Day Thou Gaverst Lord Hath Ended' "(「アン・ブーリン」、6分34秒)、B面3曲目"Catherine Parr"(「キャサリン・パー」、7分5秒)。

Picchio dal Pozzo, Picchio dal Pozzo, 1976(邦題:ピッキオ・ダル・ポッツォ『ピッキオ・ダル・ポッツォⅠ』)(6)

イタリアの清涼系プログレ・バンドの1枚目、A面3曲目が”Seppia"(セピア)、10分16秒。この曲は
  1) sottotitolo(プロローグ)
  2) frescofresco(フレスコ フレスコ)
  3) Rusf(ルスフ)
の三部構成とのことですが、どこで分かれるのか、よくわかりません。
 イントロから管楽器がテーマを奏でるまでで約2分11秒。ここから(2)なのか(1)の続きなのか、その後約6分18秒まで、ギターの不穏なリフがえんえん反復される上に、マリンバや人声、電子音がからみつく。
 と、(2)だか(3)だか、いきなり途切れてフルートやマリンバによるフレーズが反復、そのフレーズが折り畳まれたと思ったら、約7分30秒、コケコッコーと鶏が鳴く。これが(3)なのかもしれません。
 ギターのアルペジオ、そして子供の語りが入る直前、後ろの方で鐘が鳴っていました(約7分44秒)。
 子供の語りに続いて、約8分22秒、こちらが(3)なのかどうか、抒情的なコーダとなります。楽器としてのベルも聞こえました(約8分31秒)。
 
6. 『フールズ・メイト』、vol.19、December 1981、p.95。
 『イタリアン・ロック集成 ユーロ・ロック集成1』、マーキームーン社、1993、p.93。
 『200CD プログレッシヴ・ロック』、立風書房、2001、p100。
 片山伸監修、『ユーロ・プログレッシヴ・ロック The DIG Presents Disc Guide Series #018』、シンコーミュージック、2004、p.69。
 アウグスト・クローチェ、宮坂聖一訳、『イタリアン・プログ・ロック イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド(1967年-1979年)』、マーキー・インコーポレイティド、2009、pp.400-401。
 『ユーロ・ロック・プレス』、vol.46、2010.8、pp.88-90。
 岩本晃一郎監修、『イタリアン・プログレッシヴ・ロック(100 MASTERPIECE ALBUMS VOL.1)』、日興企画、2011、p.107。
 『ストレンジ・デイズ』、no.143、2011.10、p.46。
 『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック』、マーキー・インコーポレイティド株式会社、2014、pp.171-173。

 別のアルバムから→こちらを参照:「中央アジア、東アジア、東南アジア、オセアニアなど」の頁の「おまけ
 

 柱時計の時鐘っぽい音が、アルバム全体の冒頭で鳴ります;

 Gandalf, To Another Horizon, 1983

(→「近代など(20世紀~) Ⅳ」の頁の「トールキン」の項で触れました)。


 カナダのバンド

 The Rebel Wheel, We are in the Time of Evil Clocks, 2010

1曲目のタイトル曲、その冒頭でややせわしなく、これは楽器によるものでしょうか、時鐘っぽい音が響きます。またラスト、7曲目の"Evil Clocks"の前半でも、やはり時鐘に聞こえなくもない音が刻まれる。


 四人囃子、『一触即発』、1974(→「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ」も参照)

1枚目のB面の2曲目にしてラスト、「ピンポン玉の嘆き」、器楽曲、5分5秒。
 ピンポン玉がコロコロ転がる音に続いて、ギターによるアルペジオが始まると、随所でカーンと、鐘のような音が刻まれます。これはエレクトリック・ピアノあたりかと思われるのですが、約1分38秒前後、メロトロンが入ってくると、楽器のベルだかチャイムに替わる。約2分29秒前後、オルガンがリードを取った時点で引っこみ、約3分前後、ギターのアルペジオが戻ってくると、エレクトリック・ピアノあたりによる鐘風の音が、二度だけ切りこむのでした。


 鐘の音をヴォーカルでなぞるのが、「キリスト教(西欧中世)」の頁の「おまけ」で挙げた

 Focus, Hamburger Concerto, 1974(邦題:フォーカス、『ハンバーガー・コンチェルト』)

4枚目のA面3曲目"La cathédrale de Strasbourg”(「ストラスブルグの聖堂」)、4分58秒。


 鐘はなっているのかどうか;

 鈴木さえ子、『毎日がクリスマスだったら… I wish it could be Christmas everyday 』、1995

 ソロ1枚目のB面ラスト、5曲目が「朝のマリンバ」、2分374秒。
 同じアルバムから→こちら(「バオバブ人」<「アフリカ」の頁の「おまけ」)、
 他のアルバムから→そちらを参照:『妖婆死棺の呪い』(1967)の頁の「おまけ
 鐘の音は鳴りませんが、

 Mulatu Astatqé, Ethiopique 4 ; Ethio Jazz & Musique instrumentale 1969-1974, 1998(『エチオ・ジャズ&インストゥルメンタル・ミュージック』)(7)

のラスト、14曲目"Dèwèl"(1972、「デウェル 鐘」)、4分14秒、器楽曲)。
7. 『200CD+2 ピーター・バラカン選 ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』、学習研究社、2009、p.87 
ミュージック・エアで2023年4月に放映された、2018年、リヨン近郊のヴィエンヌのジャズ・フェスティヴァルでのライヴでも最初に演奏され、日本語字幕によると

 「6世紀エチオピアのコプト教会音楽をジャズ風にアレンジした曲」

と述べていました。この曲は

 Mulatu Astatke / The Heliocentrics, Inspiration Information, 2009(ムラトゥ・アスタトゥケ/ザ・ヘリオセントリクス『インスピレーション・インフォメーション・3』)

にも入っています。11曲目、5分49秒。
 このアルバムから別の曲→「中国 Ⅱ」の頁の「おまけ

 Gentle Giant, Three Friends, 1972(ジェントル・ジャイアント、『スリー・フレンズ』)

 3枚目のA面2曲目、"Schooldays"(「スクールデイズ」、7分37秒)は、このバンドのアルバムごとに1曲入っているか入っていないかという、ハ・ド・ロック的なリフなどははずして、同時並行したり追っかけあったりするコーラスを主軸にした系列に属します。ころころ転変するのは変わりません。その上で5枚目の In a Glass House (1973) のA面2曲目"An Inmates Lullaby"(4分39秒)ともども、摩訶不思議な雰囲気が色濃い曲でした。
 やはり鐘は鳴りませんが、"The bell rings"と歌い出されるのでした。また中間でピアノが鐘めいた連打を挿入します。
 →こちらも参照:「ルネサンス、マニエリスムなど(15~16世紀)」の頁の「おまけ
 それはさておきというか話を戻せば、やはり頁は作っていないのですが、ハマー・フィルムの『吸血狼男』(1961、監督:テレンス・フィッシャー)でも、クライマックスは教会の鐘塔でした。人狼と化した主人公がよじ登り(右)、育ての父が教会内の階段をのぼります(下左)。階段の先は据付の梯子となる。頂の鐘楼で両者は相まみえることになるのでした(下右)。 『吸血狼男』 1961 約1時間29分:鐘塔をよじ登る人狼
『吸血狼男』 1961 約1時間30分:鐘塔への階段 『吸血狼男』 1961 約1時間30分:鐘塔の鐘楼
 ちなみにユニヴァーサルの『狼男』(1941)でも、人狼化した息子に引導を渡すのは父親でした。何やら意味がありそうですが、『狼男』の再製作である『ウルフマン』(2010、監督:ジョー・ジョンストン)では、やはり父と息子の関係が軸をなしつつ、ニュアンスが変化することでしょう。

 ロジャー・コーマンによるポー連作の最終作『黒猫の棲む館』(1964)の舞台は修道院址という設定なのですが、外観は断片的にしか映らず、全体像はつかめませんでした。これも位置はよくわからないのですが、黒猫を追ってヒロインは、狭い階段をのぼっていきます(下左→こちら)。頂には鐘がありました(下右)。階段も鐘附近も大きな窓がないのか、薄暗く、狭苦しい。   
『黒猫の棲む館』 1964 約32分:鐘楼の階段、下から 『黒猫の棲む館』 1964 約32分:鐘楼の鐘を吊った所
 やはりポーの映画化で、先に第1話「黒馬の哭く館」に触れた『世にも怪奇な物語』(1968)の内、第2話「影を殺した男」では、主人公は最後に 教会の告解室から飛びだし、おそらく同じ教会内のどこかの歩廊を進み(下左→こちら)、梯子を登るとその先は鐘楼でした(下右)。鐘の音とともに宿命が成就するのでした。
『世にも怪奇な物語』 1968 約1時間14分:第2話 鐘塔への歩廊 『世にも怪奇な物語』 1968 約1時間14分:第2話 鐘塔の頂、下から
 『帰って来たドラキュラ』(1968) の冒頭に出てくる教会は、ファサードが一階部分附近しか映らず(下左→そちら)、鐘塔の外観がどうなっているかは近づいた形では出てきませんでした。高い所から村を見下ろす眺めが挿入され(下右)、中央やや上寄りに鐘塔のある建物が見えます。どこかの実景を用いたように見えます。おそらくこれが教会だということなのでしょうが、関連づける描写があるわけではない。 
『帰って来たドラキュラ』 1968 約7分:村の教会 『帰って来たドラキュラ』 1968 約5分:村の眺め
 ともあれ、さほど規模の大きな施設ではありませんが、玄関寄りの場所に鐘を引く綱と、鋼製の螺旋階段が配されています(右)。螺旋階段の上には『吸血狼男』の場合と同じように、梯子が見える。梯子を登り、揚げ戸を開くと、鐘楼となります(下左)。先に触れた『獄門島』を連想させなくもない事態に出くわすことになる。
 とまれ鐘楼全体の外観のセットは作られなかったわけですが、面白いことに、鐘が内側に見える窓部分だけは制作されました(下右)。雪がちらついたり鐘が鳴ったりして、時間の経過を表わすためにこれだけは必要だと判断されたのでしょう。
『帰って来たドラキュラ』 1968 約3分:村の教会、螺旋階段
『帰って来たドラキュラ』 1968 約4分:村の教会、鐘楼 『帰って来たドラキュラ』 1968 約5分:村の教会、鐘楼
 打って変わって『デモンズ3』(1989)の舞台である教会は、大規模なカテドラルです。ここに閉じこめられた人々の内、鐘を鳴らして外に気づいてもらおうと、老夫婦が鐘塔の階段をのぼります(右→あちら)。
 別の場面をはさんで、二人は鐘楼に辿り着くのですが(下右)、その直前に配された点からして、下左のカットに映っていたのが鐘塔ということなのでしょう。奇態なやり方で鐘が打ち鳴らされることになります。
『デモンズ' 3』 1989 約1時間15分:鐘楼への階段、上から
『デモンズ' 3』 1989 約1時間16分:鐘塔 『デモンズ' 3』 1989 約1時間16分:鐘楼
 鐘塔ではありませんが、教会がらみということで、『ハンズ・オブ・ザ・リッパー』(1971)でクライマックスの舞台となる、ロンドンのセント・ポール大聖堂の中央ドーム上方の「ささやきの回廊」にも触れておきましょう。撮影許可が下りなかったためセットを組み立てたとのことですが、登場人物たちは狭い螺旋階段をのぼり(下左→ここ)、件の回廊に出ます(下右)。そしてドーム一階から回廊へと、呼びかけが発せられるのでした。
『ハンズ・オブ・ザ・リッパー』 1971 約1時間13分:セント・ポール大聖堂 「ささやきの回廊」への螺旋階段 『ハンズ・オブ・ザ・リッパー』 1971 約1時間14分:セント・ポール大聖堂 「ささやきの回廊」

 vi. 時計塔

 時間の経過を告げるという点で、鐘塔と機能を同じくするのが時計塔です。『長靴をはいた猫 80日間世界一周』(1976)のクライマックスでは、指定された時間までに時計塔の頂上へ達するべく、主人公たちが奮闘します。時計塔を戴く建物の下の階からドタバタは始まるわけですが、時計塔が物見の塔とも鐘塔とも異なるのは、時計の機構でしょう(下左右→そこ)。いくつもの歯車が噛みあって動きを伝え、変換していく仕掛けは、機能とは別に、それだけである種の魅力を感じさせるのではありますまいか。
『長靴をはいた猫 80日間世界一周』 1976 約59分:時計塔の建物、螺旋階段 上から 『長靴をはいた猫 80日間世界一周』 1976 約1時間3分:時計塔 機械室 右上に上への円筒と梯子
 この点は『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)にも受け継がれました(右→あそこ)。
 他に時計塔内部が登場する映画は、どのくらいあるものでしょうか? とりあえず思い浮かんだ範囲で、これまた頁を作っていない『学校の怪談2』(1996、監督:平山秀幸)だけ挙げておきましょう。
 『ルパン三世 カリオストロの城』 1979 約1時間25分:時計塔の機関部
 この作品では4月4日4時44分に何かが起こるという設定があって、その分、時間を刻む装置である時計塔が重要な役割を果たします。舞台となる学校の時計塔は、校舎中央の上部に建っています。時計盤は正面側・裏の中庭側双方についている(下1段目左)。校舎に入ると、二股の階段があります(下1段目右)。二階に上がった所からさらに、屋根裏への階段がかけてありました(下2段目左)。揚げ戸から屋根裏に入れば、時計の大きな機構が中央に据えられているのでした。4時44分、この機構に異変が起こることでしょう。
『学校の怪談2』 1996 約28分:学校の外観、正面 『学校の怪談2』 1996 約13分:学校、正面階段
『学校の怪談2』 1996 約24分:学校、二階から屋根裏への階段 『学校の怪談2』 1996 約25分:学校、屋根裏、時計の機構

 vii. 火の見櫓など 
 『怪猫有馬御殿』(1953)では火の見櫓が重要な位置を占めていました(右→こっち)。該当作品の頁でも触れたように、江戸時代に実在したものとのことです。櫓内の急な階段を下から見上げたショット(下左)が上から見下ろしたショット(下右)に切り換わります。頂は鐘楼になっており、鐘塔も兼ねているわけです。 『怪猫有馬御殿』 1953 約0分:火の見櫓
『怪猫有馬御殿』 1953 約0分:火の見櫓内部、下から 『怪猫有馬御殿』 1953 約0分:火の見櫓内部、上から
 冒頭のプロローグだけでなく、本篇中にも映りこみ、屋根附近に組まれた足場ともども、クライマックスで化猫が通り抜けることになります。筋立てを進めるだけにとどまらず、活劇の垂直軸になるという、重要な役割を与えられているわけです。 
 火の見櫓ではありませんが、化猫がらみということで、『怪猫岡崎騒動』(1954)に登場する天守にも触れておきましょう(右→そっち)。「怪奇城の肖像(前篇)」の頁でも記しましたが、居住空間ではないからこそ、生身の人間である時だけでなく、死してなおヒロインが幽閉され、壁に塗りこめられ、ひいては封印される場所として、御殿とは区別して位置づけられていました。   『怪猫岡﨑騒動』 1954 約52分:天守最上階、階段登り口

 viii. 灯台 
 『ウルトラQ』きってのゴシック・ロマンスである第9話「クモ男爵」(1966)のプロローグは、灯台で展開します。灯台守が階段を上るさまが二度、下から見上げられます(右→あっち)。他方上からは異形のものがおりてくることでしょう。
 『怪猫有馬御殿』の火の見櫓同様、あまり広くはない灯台だからこそ、上昇と下降のヴェクトルがくっきり浮かびあがっていました。
『ウルトラQ』第9話「クモ男爵」 1966 約1分:灯台の階段+影
 灯台といえば、ブラッドベリの「霧笛」(1951)が思いだされます(小笠原豊樹訳、『太陽の黄金(きん)の林檎 [新装版]』(ハヤカワ文庫 SF 1870/フ 46-3)、早川書房、2012、pp.9-24)。この短篇と関係するのが、またしても頁を作っていない、レイ・ハリーハウゼンが単独で特撮を担当した商業映画の長篇第一作『原子怪獣現わる』(1953、監督:ユージン・ルーリー)です。厳密には原作というわけではなく、

「レイ・ブラッドベリーがこの映画の脚本を読んでくれと頼まれて読んだところ、自分が『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の51年6月23日号に発表した短編『霧笛』(ハヤカワ文庫『太陽の黄金の林檎』所収、創元SF文庫『ウは宇宙船のウ』所収)に似ていた。そう言うと、プロデューサーはトラブルを避けるためにこの短編の映画化権を購入した。もっとも彼のストーリーは映画では中盤にほんの少し(ブラッドベリーに言わせれば35秒)残っているだけだった。幼なじみの二人のレイ、ハリーハウゼンとブラッドベリーがプロとして手を組んだ最初で最後の作品でもあった」(北島明弘、『世界SF映画前史』、愛育社、2006、p.196)

とのことです。ハリーハウゼンの回想では少しニュアンスが違っていて、

「ストーリー会議の最中、ジャック・ディーツがいきなり部屋へ駆けこんできて、《サタデー・イヴニング・ポスト》誌をテーブルの上に投げだした。そこには、恐竜に似たクリーチャーが灯台を襲う場面を描いた美しいカラーイラストが掲載されていた。偶然にも、それはわたしの親友であるレイ・ブラッドベリの短編だった。レイがつけたもともとのタイトルは『霧笛』だったが、《サタデー・イヴニング・ポスト》はそれを『原子怪獣現わる(The Beast From 20,000 Fathoms)』と改題していた。ジャックはそのイラストにひどく感心し、似たようなシークエンスを今回の作品にも取り入れたいと考えた。そこで、氷河から出現したクリーチャーがニューヨークにたどり着くまでの橋渡しとして使うことになった。ジャックはすぐにレイから原作を買い(たしか2000ドルだったと思う)、同時に《ポスト》からタイトルの使用権も買いとった。かくして、『海底からきた怪物』は『原子怪獣現わる』となった。残念ながらレイは脚本を書きたがらなかったため、わたしたちがおなじ長編映画に携わったのは、これが最初で最後になった」(レイ・ハリーハウゼン/トニー・ダルトン、矢口誠訳、『レイ・ハリーハウゼン大全』、河出書房新社、2009、p.51)

と述べています(引用文中のジャック・ディーツと『海底からきた怪物』というタイトルについては、同じ頁に「ミューチュアル・フィルムズなる会社を経営しているプロデューサーのジャック・ディーツが、『海底からきた怪物』(The Monster From Under the Sea)という企画を進めていると聞いた」とありました)。 
 ブラッドベリの短篇において恐竜が灯台に関わった理由は、映画では語られませんが、夜間に設定されたシークエンスは雰囲気を欠いてはいません(右)。また灯台内部も、灯室(下左)と螺旋階段(下右)が映されるという段取りが踏まれていました。やはり怪獣が灯台を破壊する『大怪獣ガメラ』(1965、監督:湯浅憲明) で、灯台内が描かれなかったのと対照的です。 『原子怪獣現わる』 1953 約43分:灯台とレドサウルス
『原子怪獣現わる』 1953 約42分:灯室 『原子怪獣現わる』 1953 約44分:灯台内の螺旋階段
 これも頁未作成の『人類SOS!』(1962、監督:スティーヴ・セクリー+フレディ・フランシス)はジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』(井上勇訳、創元SF文庫(SF ウ 7-1)、東京創元社、1963、未読)の映画化です。

「スティーヴ・セクリー監督による主要撮影が終わって一年後、フレディ・フランシスがトリフィドが海水で退治される場面を撮り足して完成させた」(北島明弘、『世界SF映画前史』、同上、p.276)。

「実質的なプロデューサーをつとめたバーナード・グラッサー」によると、

「主要撮影が終わってもSFXが長引き、使えないSFXショットを省くと、本編は短いものになってしまった。結局、灯台のシーンを付け加えることにし、フランシスがMGM撮影所で撮った」(同、p.277)

とのことです。
 当初の筋立てと交互にはさみこまれる後補の部分は、孤島の灯台を舞台に展開します(右)。ここでの灯台は居住できるようになっていました。踊り場から中に入り、おそらく最上階の灯室(=四階)から階段を下りると(下1段目左)、一階分(=三階)はさんで(下1段目右)、寝台のある階(=二階、下2段目左)、そこを下りれば一階となります(下2段目右)。階を貫いて円柱が芯になっているようです。クライマックスは階段を上り下りすることで展開します。 『人類SOS!』 1962 約20分:灯台
『人類SOS!』 1962 約20分:灯台、灯室から下りる階段 『人類SOS!』 1962 約20分:灯台、三階
『人類SOS!』 1962 約20分:灯台、二階 『人類SOS!』 1962 約20分:灯台、一階
 灯台が重要な役割を果たす映画もまだまだありそうですが、とりあえず思いだせたものとして、『コールド・スキン』(2017、監督:ザヴィエ・ジャン)のみ挙げておきます。


 ix. 風車小屋

 怪奇映画界隈で風車小屋は、『フランケンシュタイン』(1931)、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)、『生血を吸う女』(1960)の三作によって、ある種の範型となりました。   
 『フランケンシュタイン』で風車小屋は最後の舞台として登場します(→こなた)。扉口から入って一階(下1段目左)、壁よりの階段を上がって二階(下1段目右)、中央あたりの階段から三階へ(下2段目左)、三階の中央には、回転の縦の向きを横に転換するためのものでしょうか、籠状の部分をつけた円柱が立っています。また三階からバルコニーが外に突きだしていました(下2段目右)。フランケンシュタイン博士を抱えた怪物がこの順で上っていき、博士はバルコニーから墜落、風車の羽に引っかかることになる。 『フランケンシュタイン』 1931、約1時間4分:風車小屋
『フランケンシュタイン』 1931、約1時間3分:風車小屋、一階 『フランケンシュタイン』 1931、約1時間4分:風車小屋、二階
『フランケンシュタイン』 1931、約1時間4分:風車小屋、三階 『フランケンシュタイン』 1931、約1時間5分:風車小屋、下から、上にバルコニー
  『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)でも風車小屋は最後の舞台でした。脇の扉から入る一階はそこそこ広く見え、段差があったりもします。中二階へ上がる階段もあります(下左→そなた)。中二階の奥にある扉を開くと、屋根窓のようなところから外に出られるようになっていました(下右→そなたの2)。梯子で踊り場まで下りることができます。
 踊り場の下が土壁か煉瓦壁に漆喰らしき一階、その上に上拡がりの石造りの部分、さらに横張りの板壁の本体が上にのびている。本体は下の台になる部分より狭く取られ、余ったところに屋根窓が配されると、けっこう手が込んだセットです。
『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 1960 約1時間17分:風車小屋の中 『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 1960 約1時間23分:風車小屋、中二階の窓からバルコニーへ
 屋内に風車の機構は見あたりませんでした。英語版ウィキペディアの"Glossary of mill machinery"の頁(→そなたの3)に掲載されている"Diagram showing an underdrift windmill"などを見ると、 風車の機構を収めた四階からなる上細りの本体は、方形の"Meal Floor"(粗挽き粉の階)二階分の上に載っていました。後者は挽いた粉を袋詰めしたり保管したりするためのもののようです。だからここに装置類が見あたらなくていいわけです。両者が接する部分は踊り場状の"Reefing Stage"です。"reef"はよくわからないのですが、英和辞書には「縮帆する(ようにたたみ込む)」とありました。
 『生血を吸う女』(1960)では、隣接する住宅から風車小屋内に入ることができます(右→あなた)。ここには蠟人形の回転舞台が設置されています。木製の螺旋階段で上階に上がることができる。階段を支える斜めの枝が中央の円柱から伸びており、樹木のように見えます。 『生血を吸う女』 1960 約5分:アトリエを抜けた先の部屋、左手前に螺旋階段
 吹抜に面した二階は、日本語字幕によれば「水車小屋の歯車部屋」です(右→あなたの2)。噛みあう歯車でぎっしりですが、奥に仕切ったところがあって、主人公の作業部屋になります。また階段を上がって左手、下右の画面でも左端に扉があって、住宅の二階に通じています。 『生血を吸う女』 1960 約36分:二階機械室
 また一階、回転舞台の脇の床に跳ね上げ戸があって(下左→あなたの3)、地下へ下りていきます(下右)。風車小屋の地下にあたるのか住宅の地下なのかはわかりませんが、手術室ないし実験室はこの階にありました。
『生血を吸う女』 1960 約52分:舞台裏 奥の床に揚げ蓋戸 『生血を吸う女』 1960 約52分:地下(?) 木の階段
 さて、三作いずれにおいても、風車小屋は炎上して終わりを迎えます。ゴシック・ロマンス的なお話における城や館が辿る末路の、少なくとも一つの定型に従うことで、風車小屋は城や館と同等の地位を獲得したわけです。
 先に挙げた『フランケンシュタインと僕』(1996)には、風車小屋も登場します(右)。ただし、丘の上にぽつんとある点では『フランケンシュタイン』最後の舞台と同じですが、実のところ『吸血鬼ドラキュラの花嫁』をなぞっているのでした。  『フランケンシュタインと僕』 1996 約54分:吸血鬼が潜む風車小屋
 一階では段差があり、中二階への階段が設けられている点までそのままです(右)。ただし中二階の奥にある扉の先は違っていました。扉から入ってすぐ左に曲がり、少し後の場面で上り階段があることがわかります。  『フランケンシュタインと僕』 1996 約55分:吸血鬼が潜む風車小屋、一階
 その先は『吸血鬼ドラキュラの花嫁』になかった部屋で、風車の機構が回転しています(右)。主人公は柩を見つけるも、吸血鬼たちに出くわし、窓を突き破って放りだされてしまう。 『フランケンシュタインと僕』 1996 約55分:風車小屋の上の階
 すぐ外に回ってきた風車の翼にかろうじてつかまり、助手の助けで同じような、ただし位置が異なるとすぐにわかる窓から、屋内へ戻ります(右)。窓周辺のセットは同じものをそのまま用いたのでしょう。窓の中は当初の一階でした。段差で少し高くなっており、前の階段とは違って梯子で一階の床におります。 『フランケンシュタインと僕』 1996 約57分:風車小屋の翼と窓

 x. エピローグ

 やはり頁は作っていないのですが、『ヴァン・ヘルシング』(2004、監督:スティーヴン・ソマーズ)にも風車小屋が登場しました。この作品のプロローグ部分はモノクロで、フランケンシュタイン博士の実験が成功した時点を描きます。時代設定はなぜか1887年で、場所もトランシルヴァニアになっていました。
ともあれ、暴徒に追われた怪物は風車小屋へ逃げこみます(右)。『フランケンシュタイン』を忠実になぞっているわけです。ただ、いやに垂直性の勝った形状になっています。屋内は階段を駆け上がる足下のアップのみでした。バルコニーは本作では頂上附近の屋上にアレンジされていました。そしてこれも原典に則って、炎上するのでした。 『ヴァン・ヘルシング』 2004 約5分:風車小屋
 ところでこの作品には、いくつも古城が出てきます。プロローグ部分でフランケンシュタイン博士が実験を行なうのは見張り塔ではなく、れっきとしたお城です(右)。これまた垂直性が強調されており、また塔と塔の間に架けられた渡り廊下が一つならず見られました。『ルパン三世 カリオストロの城』における可動渡り廊下が連想されなくもありません(下→こちら)。

『ルパン三世 カリオストロの城』 1979 約19分:城
『ヴァン・ヘルシング』 2004 約0分:フランケンシュタイン城(上部)

『ヴァン・ヘルシング』 2004 約0分:フランケンシュタイン城(下方)
 フランケンシュタイン城と遠からぬ村にあるのがヴァレリアス一族の城(下1段目左)、ブダペストで仮面舞踏会が催された宮殿(下2段目左)、そしてドラキュラ城です(下2段目右)。
 『ヴァン・ヘルシング』 2004 約45分:ヴァレリアス城  『ヴァン・ヘルシング』 2004 約40分:ヴァレリアス城内
『ヴァン・ヘルシング』 2004 約1時間29分:ブダペスト、仮面舞踏会の会場 『ヴァン・ヘルシング』 2004 約1時間36分:ドラキュラ城
 フランケンシュタイン城とドラキュラ城では、フランケンシュタイン博士の実験を転用した、ある試みがなされるのですが、そのため、これも『フランケンシュタイン』に基づいて、基底となる階から塔の屋上まで貫く吹抜が必要でした。その吹抜の高さが、本作ではおそろしく誇張されています。亜空間だか異界に所在するらしきドラキュラ城はまだしもといっていいものかどうか、フランケンシュタイン城でも、過ぎるほどに規模が大きい。おかげでヴァレリアス城の博物館の展示室めいた広間の方が、実在感があるものと感じられました(上1段目右)。
 ところで、フランケンシュタイン博士のエピソードを描いたプロローグの後、カラーになって、プロローグ第二部とでもいえる部分が続きます。フランケンシュタインの事件から一年後、舞台はパリのノートル=ダム大聖堂です(右)。 『ヴァン・ヘルシング』 2004 約8分:パリ、ノートルダム大聖堂
 余談になりますが、上右に引いた画面で教会の右手、セーヌ川にかかっているのはドゥーブル橋です。画面には映っていない手前にはプチ・ポンがあって、シャルル・メリヨンの版画で描かれました。元の勤め先がこの作品を所蔵しており、解説を何度か書いたことがありました(→ こちらの2:「メリヨン《プチ・ポン》《ノートル=ダムの給水塔》《ノートル=ダム橋のアーチ》《塔・医学校通り》」(『コレクション万華鏡』、1998、pp.131-137) < [ 三重県立美術館のサイト ]。あわせて、「プチ・ポン拾遺──メリヨンとマティス──」(『ひる・ういんど』、第69号、2000.3、pp.5-7) < 同上。

 話を戻すと、怪人を追う主人公が扉を開くと、左右の柱が斜めになった部屋でした(下左)。使われなくなった何やかやがぽつぽつ置かれたここは、屋根裏部屋なのでしょうか。入口近くには鐘が吊り下げてありました(下右)。
  
『ヴァン・ヘルシング』 2004 約10分:ノートルダム大聖堂、屋根裏 『ヴァン・ヘルシング』 2004 約9分:ノートルダム大聖堂、屋根裏+鐘
 主人公は怪人に放りあげられて天井と屋根を突き破ります。出たのは西正面に向かって左側の塔、北塔の屋上でした(右)。 『ヴァン・ヘルシング』 2004 約12分:ノートルダム大聖堂、北塔の屋上
 屋根裏部屋と屋上では広さや形が違うような気がしますが、それはおきましょう。屋根裏は実在する空間に基づいているのでしょうか? 仏語版ウィキペディアの"Charpente de Notre-Dame de Paris"(パリのノートル=ダム大聖堂の骨組み)のページ(→こちら)には、台形状に張られた木組みとキャットウォークないし橋状の床からなる屋根裏の写真が掲載されています。奥に小さめの薔薇窓がありますが、どこのものなのでしょう? 他方英語版ウィキペディアの"Bells of Notre-Dame de Paris"のページ(→こちらの2)には写真"Emmanuel-Louise-Thérèse, cast in 1686"が掲載されています。「エマニュエル=ルイーズ=テレーズ」は南塔の鐘につけられた名前で、鐘楼内の設備や床の様子が一部、映りこんでいる。また

 アラン・エルランド=ブランダンブルグ、山田英明訳、池上俊一監修、『大聖堂ものがたり - 聖なる建築をつくった人々』(知の再発見双書 136)、創元社、2008

には、「ソールズベリ大聖堂の尖塔の骨組み」の写真がありました(p.96)。さらに、

 デビッド・マコーレイ、飯田喜四郎訳、『カテドラル - 最も美しい大聖堂のできあがるまで -』、岩波書店、1979

架空のカテドラルが建造される過程をイラストレーションで辿った本ですが、オジーヴこと交差リブで区切られた」石造天井の上に、「いく組もの三角形の骨組ででき」(p.40)た木造の小屋組を組み立て、鉛板を「小屋組の上に張」(p.43)って屋根となるさまが描かれています(p.42, pp.45-47, pp.49-50, pp.53-57, pp.64-65)。小屋組からなる屋根裏部分だけでも、数層分あります。
 この本にはまた、鐘の鋳造(p.66)、鐘塔の内部(p.72)を描いたページも見られます。ちなみに、

「…(前略)…大アーケード以上の高さの壁を作るための足場は、地上からは建て上げません。この足場は壁からつり下げて作り、壁が高くなるにつれてつり上げました。壁のなかにはらせん階段がいくつも作られているので、この足場に登るのに梯子はいりませんでした」(p.31)

として、壁の中の螺旋階段が描かれていました(
追補;→「怪奇城の隠し通路」の頁の「隠し扉とからくり」でも触れました)。

 さて、屋上周辺が次のお題の予定だったのですが、例によって長くなってしまいました。いったんページを閉じて、いつになるやら、続きを待つことにいたしましょう。

→ 「怪奇城の高い所(完結篇) - 屋上と城壁上歩廊など」へ続く

2023/03/18 以後、随時修正・追補
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