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    怪奇城閑話 
怪奇城の廊下

  プロローグ
  1 廊下図
  2 廊下もろもろ
  3 廊下を動く視線
   4 らせん階段』(1945)と四つの廊下
   5 廊下を動く視線(2)
   6 特徴的な廊下の例
   7 日本の映画より

 プロローグ

 「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「廊下など」の項の内、Mark Jarzombek, "Corridor Spaces"(2010)を挙げたところあたりに、はなはだ不充分ではありますが、目にとめる機会のあったほんのわずかばかりの文言類をメモしておいたのですが、廊下、とりわけ左右両側を部屋にはさまれた、いわゆる中廊下、ジャーゾンベクの論文によれば、片方が窓の gallerie に対する corridor は(p.748。上記同頁同項の→このあたり)、建築設計上あまり積極的なものとは見なされていないようです(とりわけ→そのあたり)。
 そもそも〈廊下〉自体、決して自明のものではなかった。ヨーロッパの城などでは、まずは広間がぼんと一つだけあるところから始まって、複数の部屋に分割されるようになっても、部屋と部屋が直接つながるという形をとりました。その際いくつもの出入口が奥まで見通せるように一列に並ぶのを、〈アンフィラード〉と呼ぶのだという(同頁同項の→あのあたり)。
 もとより建物の用途や規模によって一概にはいえますまいし、古来廊下というか通路がなかったはずもない。上記のメモ類でも、古代のエジプトやギリシアの例に触れたらしきものが見受けられました(同頁同項の→ここいら)。また同頁同項の前掲〈アンフィラード〉のところでも言及したように、主人たちの区画と使用人たちの区画の区別にも注意する必要がありそうです。この点は後で触れる『らせん階段』(1945)で垣間見ることができるはずです。
 ともあれ、たとえばシュテファン・トゥリュービーの『廊下の歴史』の書き出しは、

「廊下はいかなる場合であれ、讃えられるような空間には属していない」

というものでした(
Stephan Trüby, Geschichte des Korridors, 2018, p.10)。この本のダイジェスト版とでも見なせよう、論考「廊下=小房複合」:Stephan Trüby, "The Corridor-Cell Complex" ( Rem Koolhaas et al., Elements of Architecture, 2018) も相似た書き出しで(p.1291/p.39)、その文から始まる第1章は「廊下 - ある〈非-建築〉?」("The Corridor - an 'Un-architecture'?")と題されています。

 後者の論文を含む『建築の諸要素』( Elements of Architecture )の「廊下」のセクションには、"Corridor : Declining in architecture, increasing in metaphor"というコーナーもあったりします。実際の建築では減ってるけれど、たとえに使われる例は増えているといったところでしょうか(pp.1258-1259/pp.6-7。解説の文章はなく、グーグルによってスキャンされた、1750年から2008年までに刊行された本の中で、「廊下」の語が出てきた数と、「廊下」の語と組みあわせた言い回しが最初に現われた年をグラフにしたもの等を掲載)。

 二つの場所をつなぐ、それ自体は目的ではない空間という点で、同じく通路という範疇に含まれる、たとえば〈階段〉や〈橋〉は、隠喩として用いられる場合も含めて、ずいぶんいろいろなところに顔を出します。やはり「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「橋など」の項に並べたように、ふらっと眺めただけでも、一冊本を始めとする資料をそこそこ見つけることができました。階段に関しては、「階段で怪談を」の頁の「文献等追補」に挙げたように、少なくとも素人目には、一冊本の形でまとまったものは、今のところ橋ほどには見かけられないでいるものの、写真集的なものなら少なくありません。これらに比べると、同じ通路でも、廊下そのものを単体で扱った資料は少ないような気がします。
 ちなみに絵の中に階段が描かれたものは、「階段で怪談を」の頁でほんの少しではあれ、代表的な例を取りあげたように、けっこう見つかることでしょう。橋の場合も、「寄木細工、透視画法、マッツォッキオ、留守模様」の頁で垣間見た《柳橋水車図》などの作例が見られ(→そこいら)、『日本美術にみる 橋ものがたり』展(三井記念美術館、2011)なんてテーマ展が開かれたこともありました。それでは、廊下に重要な位置をもたせた絵はどうでしょうか?



 1 廊下図
 思い浮かぶのはたとえば、ティントレットの《聖マルコの骸の発見》ですが、 「オペラ座の裏から(仮)」の頁でも触れたように(→あそこいら)、舞台は墓所だか納骨堂で、廊下と呼んでいいものかどうか。

 サーンレダムを始めとして、17世紀オランダの教会内部を題材にした作品などで、身廊や側廊が描かれていますが、幅が広かったり天井が高かったりで、廊下が細長く伸びていくという感じはあまりしません。
ティントレット《聖マルコの骸の発見》1562-66
ティントレット(1518-94)
《聖マルコの骸の発見》
1562-66

* 画像をクリックすると、拡大画像とデータが表示されます。
 同じく17世紀オランダの、ホーホストラーテンを始めとした室内画で(右の挿図や、また→こちら)、扉口から向こうを見通す構図が用いられるとして、一般市民の住居であれば、長々と廊下が伸びるはずもない。そうした室内画に範を得たであろう、19世紀末デンマークのハンマースホイの場合も同様でしょう。 ホーホストラーテン《スリッパ》1655-60頃
ファン・ホーホストラーテン
《スリッパ》 1655-60頃

  
 ところで Pierluigi de Vecchi, Tout l'œuvre peint de Tintoretto. Les classiques de l'art, Flammarion, Paris, 1970 中のティントレット《聖マルコの骸の発見》解説には、ヴァザーリの本作に関する記述として、透視画法で描かれた「大きなロッジア」との語が引用されていました(p.106 / cat.no.162B)。
 日本語版ウィキペディアの該当頁によると(→そちら)、ロッジア
loggia とは

「ファサードに一方の側が外に開かれた廊下を配し、一定間隔の柱で支持するか、単に壁に開口部を設けた形状のものである。開廊、涼み廊下とも。地上階にある場合は回廊とも呼ばれるが、上層階に配する場合もある」

とのことでした。 
 
 右に掲げたフレーデマン・デ・フリースの一葉にかぎらず、街景図ではしばしばロッジアが描きこまれています。壁や天井に囲われた屋内で奥へ伸びて行くという感触は、戸外へ開けた分、やや緩和されることになります。 フレーデマン・デ・フリース《舞台装置あるいは透視図法》 no.19 1560
フレーデマン・デ・フリース (1527- c.1606)
《舞台装置あるいは透視図法》より no.19 1560
 
 ティントレットの《聖マルコの骸の発見》の場合のように、加速して後退する奥行きを強調しようという構図でもなければ、廊下の伸びていく感触は表わすことができにくく、しかしそうした構図は、一つの相のみに集中するため、画面にいくつもの要素を配分してバランスを図るという要請に対し、応用が利きにくくなってしまう。そのため廊下のみを画面の主要要素にした作例は見出しがたい - しかしそう言ってしまっていいものかどうか、寡聞にして、言い切れるほどに調べたわけであろうはずもなく、今後の課題としておきましょう。
 右に載せた版画は James Elkins, The Poetics of Perspective, Cornell University Press, Ithaca and London, 1994, p.169 / pl.40 で出くわしたもので(作者名は "Monogrammist F.B."、制作年1561と表記)、ティントレットの《聖マルコの骸の発見》同様、奥行きの急激な後退を強調した構図を示しています。ところで上の本の本文中で二度、冒頭に挙げたジャーゾンベクの論文のタイトルと同じく、引用符つきで
"corridor spaces"
と(p.167、p.176)、一度は単数で
"corridor space"
と形容されていました(p.176)。そうした言い回しがあるのでしょうか?
フランツ・イザーク・ブルン《メランコリア》 1560
フランツ・イザーク・ブルン(c.1535-c.1610/20)
《メランコリア》  1560

追補:
 いつも通りすっかり忘れていましたが、ユベール・ロベールに右に載せた絵がありました。近い図柄の皿絵ヴァージョンを国立西洋美術館が所蔵しており、そこで2012年に開かれた『ユベール・ロベール』展は退職記念に見に出かけたのですが(p.245 / cat.no.130)、ちっとも浮かんできてくれはしませんでした。
 ちなみにロベールには、couloir / corridor ならぬ galerie であれば、ルーヴルを描いた作品が何点もあります。→こちらにその内数点を載せました:「ホワイト・キューブ以前の展示風景」の頁。、couloir / galerie については→そちらも参照:「怪奇城の画廊(前篇)」の頁
ユベール・ロベール《サン=ラザール牢獄の廊下》 1794年
ユベール・ロベール(1733-1808)
《サン=ラザール牢獄の廊下》 1794

 2 廊下もろもろ

 とこうして廊下を巡るネガティヴな文言ばかりがあまりに目につくので、やはり「怪奇城の外濠 Ⅱ」の「廊下など」の下の方で、多少ともポジティヴにとれなくもないかもしれない文言をほんの少し挙げておきました(→そこいら)。また『アッシャー家の惨劇』(1960)の頁で引用したように、ロジャー・コーマンの『自伝』のこの作品について述べた箇所で、コーマンは

「廊下のむこうにあるものは何か?」

という世にも美しい一文を記しています(→あそこいら)。さらに「怪奇城の外濠 Ⅲ」の頁の「綺想建築など」の項で挙げたように、種村季弘の『書物漫遊記』には、

「どこか一点に隠れん坊という秘密を置いたそのとき、見馴れた家のなかのありふれた廊下や階段や戸棚や縁の下が、どんなにか謎めいて見えたことだろう」、

「神社仏閣のような人間の住めない建物や、ふつうの家なら階段とか渡り廊下とか、安息に適しない場所が舞台になる。面白いことに、これは皆、昔からお化けが出やすいとされてきた場所である」

という、涙なしには読めないくだりが含まれていたことでした(→こちら)。バシュラールが『空間の詩学』の中で引用したリルケの『マルテの手記』には、次のようなくだりがありました;

「この廊下はこの二つの部屋をむすぶものではなく、それだけがまるで断片のように記憶のなかにのこっている」
  (p.93。また、リルケ、高安国世訳、『マルテの手記』(講談社文庫 B21)、講談社、1971、p.30)

 静止した画面では伸びゆく廊下に汎用性が仮に乏しいとしても、単線的な時間に枠どられ、動きを身上とする映画なら、廊下にも出番があってよさそうなものではないでしょうか。よしや枠どる時間が単線的に進行するとしても、カメラの動きや編集次第で、時間を淀ませることもできるでしょう。そして怪奇映画における古城や館でこそ、時間の流れをかき乱すだけの廊下の存在を期待できるはずです。


 とこうしてようやく映画の話に入ると思いきや、その前に言葉について少し - 「怪奇城の外濠 Ⅱ」の「廊下など」で最初に挙げた 井上充夫の「廊について - 日本建築の空間的発展における一契機 -」(1956)によると、平安・鎌倉時代、〈廊〉は「ほそどの」と読まれたそうです;

「『廊』はこのように、種々様々の機能をもちうるわけであるが、それは『廊』を『ホソドノ』という単なる形態上の限定とみなせば容易に納得される。これに反し、『渡殿』の方は2つの建物を繋ぐ通路という特定の機能をもつ建物についてのみ用いられる」(p.793右段)。

 他方、井上論文の少し下に挙げた野地修左・多淵敏樹「平安時代後期における渡殿と『廊』の用について」(1958)では、平安後期において渡殿と〈廊〉は、

「ともに交通の場としての、一般的な『用』の他に、日常生活や儀式の場であるといった、寐殿や対の補助的な空間としての二義的な『用』を持つものであった」(p.588右段)

と述べられています。ちなみに「追記の2」で井上論文には「したがいがたい点もある」(同上)と記していました。また少し下の高木真人・仙田満の「古典文学にみられる廊的空間に関する研究 廊・渡殿・縁における行為を中心として」(1998)も参照ください(
追補:→「怪奇城の画廊(前篇)」でも少し触れました)。
 とまれ、本頁冒頭で引いたジャーゾンベクの論文で、

corridor では両側に部屋があるのに対し、gallerie では常に、部屋は片側だけで、もう一方は窓の列になる。gallerie は庭を眺めるための空間で、後には絵を見たり、楽しく会話したり、重要なこととして、ゆっくり歩きまわるための空間だった」(p.748)

と述べられた〈ギャラリー〉と比較することができるでしょうか追補:→「怪奇城の画廊(前篇)」の頁でも触れました)。「廊下など」の項でも参照しましたが、ジャン・メスキの『ヨーロッパ古城物語』(2007)の「用語解説」には、

ギャラリー:中世の言葉で、屋根のある閉ざされた、通行できる空間すべてをさす総称語。ギャラリーは廊下であったり、そぞろ歩きで気晴らしをするための部屋だったりする」(p.156、また pp.107-109)

とありました。同じくトレヴァー・ヨーク、村上リコ訳『図説 イングランドのお屋敷~カントリー・ハウス~』(2015) pp.84-85 にも〈ロング・ギャラリー〉の項がありました(
追補:→「怪奇城の画廊(前篇)」の頁でも触れました)。

 「廊下など」の項に戻ると、髙木・仙田論文のさらに下では髙木真人「中国庭園にみられる多様な廊とその役割」(2019)を挙げましたが、中国に関連して、豊田裕章「後鳥羽上皇の水無瀬離宮(水無瀬殿)の構造とその選地設計思想について」(武田時昌編、『天と地の科学 - 東と西の出会い -』、2019/2021)は脚註で、

「北宋の都の開封の御街の長廊などの廊廡建築」

に言及しています(p.140 註71。そこで参照されているのは;

 久保田和男、「宋都開封の旧城と旧城空間について - 隋唐都城の皇城との比較史的研究 -」、『都市文化研究』、16巻、2014.3、pp.79-91 [ < 大阪市立大学 学術機関リポジトリ OCURA
 JaLC DOI : info:doi/10.24544/ocu.20171213-053)。

 久保田論文を見ると、北宋期の開封において、宮城の南にある宣徳門からさらに南の朱雀門まで伸びる
「御街」が取りあげられており、この

「街路の両側には、政府の整備した御廊という施設があった」(p.83右段)。

「百貨を販売する商店が道(御街)の左右の『御廊』に仮設店舗を出店」(p.64左段)

として、北宋第三代皇帝の真宗時代の記録を引用、その中に

「左右の廊廡にて、士庶は觀るを(ゆる)され、…(後略)…」(p.84左段~右段。p.89左段の註45に原文)

とありました。鈴木恂『回廊 KAIRO』(2004)において、

「英語の ARCADE、またはイタリア語の PORTICO に近く、覆いがあり、片側が街に開いている構造をもつ」(p.6)

とされた〈回廊〉に類したものと見てよいのでしょうか。
 なお〈廊廡(ろうぶ)〉の語は手もとの『広辞苑』(第2版、1969)では見あたらず、ウェブで検索してみると、『学研漢和大字典』、p.2152 に「表御殿に付属した細長い建物」とあるそうです。また「廡」は訓読みでは「ひさし」とのこと。

 この他、「怪奇城の図面」の頁でも参照した川上貢、『建築指図を読む』(中央公論美術出版、1988→このあたり)には、

「廊下などの用役空間」

という呼び方が見られました(p.118、p.119)。〈サーヴィス空間〉と同じとみてよいでしょうか。


 廊下が重要な位置を占める小説といえば、「怪奇城の外濠Ⅲ」の頁の「おまけ」直前で触れた(→こちらの2

歌野晶午、『長い家の殺人』(講談社文庫 う 23)、講談社、1992(1988年刊本の文庫化)

 や、「怪奇城の隠し通路」の頁で触れた(→こちらの3

有栖川有栖、「長い廊下がある家」(『長い廊下がある家』(光文社文庫 あ 42-4)、光文社、2013、2010年刊本の文庫化)

 また

ブッツァーティ、関口英子訳、「グランドホテルの廊下」、『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫 K Aフ 2-1)、2007、pp.99-106
 原著は
Dino Buzzati, "Il corridoio del grande albergo", 1950

 などが思い浮かびます。少し前に触れた

高木真人・仙田満の「古典文学にみられる廊的空間に関する研究 廊・渡殿・縁における行為を中心として」(1998)

 ともども「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「廊下など」の項で挙げた(→こちらの4)、

山本真由美、「廊下と階段の変奏 『三四郎』・『草枕』・『明暗』」、『實踐國文學』、no.74、2008

 なども頭によぎらせつつ、やはり同項で挙げた


Roger Luckhurst, "Corridor Gothic"(2018)

 で言及された小説や映画については、「廊下など」の該当箇所で挙げておきました(→そちら)。ここでは本サイトでとりあげた作品から見ていくことにしましょう;



 3 廊下を動く視線 
 『プラーグの大学生』(1913)で、ロッジアと呼んでいいのでしょうか、庭園か何か戸外に面した柱廊が奥へ伸びるさまを正面からとらえた、印象的な場面がありました(→あちら)。左の壁に開いた扉口から人物たちが出てきて、手前へ進んできます。 『プラーグの大学生』 1913 約30分:社交場から出たところの柱廊
 しかし怪奇映画の歴史における廊下のイメージという点では、『猫とカナリヤ』(1928)と『アッシャー家の末裔』(1928)にそのお手本が見られることでしょう。
 『猫とカナリヤ』は怪奇映画とは呼べますまいが、そこに登場する長い廊下では、玄関側から見て左に並ぶ窓から風が吹きこみ、カーテンを大きくなびかせます(→ここ)。別の場面では奥から捉えられたり、あるいは奥の階段の上から見下ろされたりもします。何より、冒頭では誰かの視点と化したカメラが、その歩みにあわせて廊下を奥へ進みます。
 登場人物たちが館に入ってくる扉口を玄関と見なしてよいのなら、この廊下は、玄関から少し左へ、そして右に曲がった先から伸びています。奥には書斎や食堂、二階への階段がある。実際の建築でこうした配置があるものかどうか、疑問がなくもないような気はしますが、次々にカーテンが揺れるさまは、雰囲気をかもしださずにいません。
 廊下はずいぶん長いので、奥へ伸びていく方向を強調されるわけですが、それに直交して流れこんでくる風は、窓ごとに、奥への伸張にブレーキをかけるよどみを宿らせるかのようです。
『猫とカナリヤ』 1927 約3分:廊下と風に翻るカーテン、玄関側から

『猫とカナリヤ』 1927 約5分:廊下、奥の階段上から
 『アッシャー家の末裔』では、玄関ホールの階段をあがった先に廊下があって、広間に通じているようです。やはり窓から吹きこむ風にカーテンがなびくだけでなく、舞いこんだ落ち葉をスローモーションで捉えたり、飛ばされた落ち葉を追って低い位置をカメラが前進したりするのでした。廊下という空間のあり方自体が動きをはらんでいるかのようです(→そこ)。
『アッシャー家の末裔』 1928 約11分:二階廊下、風とカーテン 『アッシャー家の末裔』 1928 約37分:二階廊下、風と舞いこんだ落ち葉
 『魔の家』(1932)や『ドクターX』(1932)などでも印象深い廊下が登場しましたが、1930年代の作品からは『フランケンシュタイン復活』(1939)を挙げておきましょう。
 あまりに印象的な玄関ホールの階段をあがった先、二階で伸びる廊下は、照明や斜めの梁が壁や床を幾何学的に分割する明暗ゆえ、おそろしく鮮烈でした(→あそこ)。
『フランケンシュタイン復活』 1939 約15分:二階廊下
 奥から人物が進んできて、手前で右に曲がるのに応じてカメラが首を少し振る場面もあるのですが、明暗を分割した構図があまりに鮮やかなので、それだけで静的に完結してしまい、時間を要する動きの感覚を鈍らせてしまうほどです。
 なお斜めの梁は、長さは違いますが、『フランケンシュタイン』(1931)でも男爵家の廊下に見られました(→こっち)。また『フランケンシュタインの花嫁』(1935)では、見張り塔の階段にかかっていました(→そっち)。そのセットを用いたと思われる『女ドラキュラ』(1936)でも漏れはありません(→あっち)。



 4 『らせん階段』(1945)と四つの廊下

 『レベッカ』(1940)や『乙女の星』(1946)などにも印象深い廊下が登場しましたが、1940年代の作品からは、冒頭でも触れた『らせん階段』(1945)を挙げておきましょう。怪奇映画ではありませんが、この作品の主な舞台である屋敷には四つの廊下が出てきて、位置に応じた役割がきっちり区別されているようです。  
1) 玄関から入ると、ずっと奥へ伸びるのが、廊下というか玄関ホール。奥の突き当たりは階段で、二階へ上がっていきます。玄関ホールの左右には、書斎や客間、食堂などが並んでいる(→こなた)。  『らせん階段』 1945 約33分:居間から玄関広間をはさんで奥に書斎
2) 奥の階段の左下にある扉口を入った先に、おそらく使用人たちが使うサーヴィス廊下があります(→そなた)。並びには厨房などがあるとともに、螺旋階段への入口が開いている。この廊下は玄関ホールと直交して、T字型をなしているようです。壁は装飾のない素っ気ないものです。   『らせん階段』 1945 約1時間9分:裏の廊下、台所の反対側
3) 玄関ホール突き当たりの階段をあがった先、二階にも廊下が伸びています(→あなた)。廊下沿いに住人の個室ないし寝室が並ぶ。階段から見て左奥が当主である夫人の部屋ですが、ヒロインや秘書の部屋も向かって中央なり右側に位置し、使用人たちの部屋も少なくとも一部は、この並びにあるわけです。 『らせん階段』 1945 約18分:二階廊下、階段をあがって左奥から
 また向かって右の手前には螺旋階段への入口があります。この廊下は一階使用人廊下と上下に平行しているようです。ただし主階段がある吹抜の手前、一階で書斎や居間があった部分の上階がどうなっているのかは、わからないままでした。 
4) 螺旋階段は二階、一階からさらに、地下へつながっています(→こちら)。地下の廊下も一階使用人廊下、二階廊下と上下に平行しているのでしょう。左右には酒蔵や物置が並びます。天井にパイプが走っていたりする。  『らせん階段』 1945 約42分:地下の廊下
 とこうして、四つの廊下は役割がきっちり区分けされ、それに応じて壁などの雰囲気も変えられています。さらに、屋敷内での配置も読みとれるようになっているのも、貴重と見なせるかもしれません。それでいて、照明の行き届かない地下廊下はもとより、窓があるため螺旋階段の位置に不確かなところが出てくるなど、屋敷の隅々まで分明とはとてもいえない部分が残るのも、古城映画の面目躍如たる点でしょう - 単に映らない箇所の設定を詰めていないだけかもしれないのですが。


 5 廊下を動く視線(2)

 『処女の生血』(1974)で、登場人物の一人が狭い廊下を奥から進んできて(一段目左)、次いで奥の部屋から直接手前の部屋へつながる扉口から出てくる場面がありました(一段目右→こちらの2)。先だって、車椅子に乗ったドラキュラ伯爵が、やはり右手が窓の狭く暗い廊下を奥から手前へ(二段目左)、左の使われていない部屋に入り、やはり手前の部屋へつながる扉口から出てきました(二段目右→こちらの3)。同じ場所だったのかどうか、ともあれ最初の狭い廊下はサーヴィス用空間、続く部屋と部屋を直接結ぶ扉口は〈アンフィラード〉と見てよいでしょうか。また『亡霊の復讐』(1965)でも用いられたロケ地ヴィッラ・パリージ(=ボルゲーゼ) Villa Parisi(-Borghese), Monte Porzio Catone に実際にあるのか、他の場所ないしセットが混ざっているのでしょうか?
『処女の生血』 1974 約1時間30分:館 部屋の連なりないし廊下 一階(?) 『処女の生血』 1974 約1時間30分:館 奥の部屋から手前の部屋へ 一階(?) 
『処女の生血』 1974 約1時間24分:館 幅の狭い廊下 一階(?) 『処女の生血』 1974 約1時間24分:館 右奥の廊下から物置状の部屋 一階(?)
 1940年代の作品に戻れば、『美女と野獣』(1946)には、カーテンが翻る廊下も登場しましたが(右→こちらの2)、もう一つ、腕状支えの燭台が並ぶ廊下が出てきました(下→こちらの3)。これは『ジャックと悪魔の国』(1962)(右下→こちらの4)の他、『吸血鬼と踊り子』(1960、監督:レナート・ポルセリ)での納骨堂附近の場面でも見られました。実際にあるものの写真をどこかで見たような気もするのですが、今のところ思いだせずにいます。 『美女と野獣』 1946 約29分:二階廊下+風に棚引くカーテン
『美女と野獣』 1946 約28分:燭台を支える腕の列と玄関扉 『ジャックと悪魔の国』 1962 約1時間2分:階段の先のゆるい階段状廊下
追補:『呪いの館』(1966)でも、男爵夫人の部屋の前の廊下、そしておそらく館の1階の廊下の壁で腕が燭台を支えていました(→こちらの5)。Tim Lucas, Mario Bava. All the Colors of the Dark (2007) はこれを、コクトーの『美女と野獣』に対する「意図的な会釈」と見なしています(p.678、また p.674 右下の図)。
 また諸星大二郎、『アリスとシェラザード 諸星大二郎劇場/第4集』(小学館、2022)の「第1話 ファーストネームで呼ばないで」でも燭台を持つ腕が壁から出ていました(p.18)。諸星大二郎に関連して→こちらの6も参照:「近代など(20世紀~) Ⅵ」の頁。
『呪いの館』 1966 約42分:廊下、反対側。跳ねる白い鞠
 斜めの梁に関して『フランケンシュタイン』に触れましたが、ことほどさように廊下が出てこないわけではないものの、重要な役割を果たすとはいいがたい。これは、ともにユニヴァーサル有声怪奇映画路線の口火を切った、先立つ『魔人ドラキュラ』(1931)でも変わりませんでした。それと同様に、といっていいものかどうか、ハマー・フィルム怪奇映画路線の口火を切った『フランケンシュタインの逆襲』(1957)と『吸血鬼ドラキュラ』(1958)でも、廊下が出てこないわけではないものの、重要な役割を果たしてはいませんでした。 
 ハマーの作品では、『バスカヴィル家の犬』(1959)で、大広間奥の階段をあがり、吹抜歩廊を横切った先を曲がれば、奥へ伸びる廊下が登場します(→そちら)。この廊下は何度か出てきて(→あちらや、またここ)、物語を動かすというか、動きだす地点へ至るための、文字通り通路として機能していました。 『バスカヴィル家の犬』 1959 約3分:二階廊下
 『凶人ドラキュラ』(1966、右→ここの2)、『蛇女の脅怖』(1966)、『鮮血の処女狩り』(1971)などでも廊下が小さからぬ役割を果たしていましたが、ハマー・フィルムの諸作品とともに、1950年代後半から60年代にかけて、怪奇映画第三の波を形作った二つのかたまり、イタリア怪奇映画とロジャー・コーマンのポー連作周辺では、ハマー作品の場合以上に、廊下を人物がうろうろしてくれます。  『凶人ドラキュラ』 1966 約38分:二階廊下、奥側
 『血ぬられた墓標』(1960)の頁の「追補 2」)で触れたように(→そこ)、『白い肌に狂う鞭』(1963)の日本版ブルーレイに収められた映像特典の内、「アレクサンドル・ジュス インタビュー〈マリオ・バーヴァの撮影技術〉」(2019)で、マーティン・スコセッシが「バーヴァの映画をこう例えている」として、

「廊下の映画」

 という感涙ものの言葉が引用されていました。
 
 『白い肌に狂う鞭』で登場人物たちが何度となく往き交う二階廊下(右→あそこ)、『呪いの館』(1966)で主人公が白い鞠をつく白衣の少女と邂逅する壁画付き廊下(下→こなた)、『処刑男爵』(1972)で主人公が逃げ惑ういやに幅の狭い通路などなど(右下→そなた)、マリオ・バーヴァが監督した怪奇映画からは、廊下を動く場面をいくつも挙げることができます。 『白い肌に狂う鞭』 1963 約17分:二階廊下、曲がった先
『呪いの館』 1966 約40分:壁画のある廊下、メリッサ登場 『処刑男爵』 1972 約54分:裏通路(?)
 バーヴァの作品以外にも、『幽霊屋敷の蛇淫』(1964)や『惨殺の古城』(1965)などで印象的な廊下が現われますが、ここでは『生きた屍の城』(1964)からの例を挙げておきましょう。約1時間4分から始まる一連の場面で、半円塔状の天井と粗石積みの壁がある通路(右上)、明暗の対比が異様にきついため現実感を喪失した廊下(右)、城壁上の幅が狭い、折れ曲がった歩廊(下)、庭園か中庭か、屋外に開いた柱廊(右下)などなどが次々に登場します(→あなた)。  『生きた屍の城』 1964 約1時間7分:天井が円筒状の通路
『生きた屍の城』 1964 約1時間8分:長い廊下
『生きた屍の城』 1964 約1時間9分:城壁上の通路 『生きた屍の城』 1964 約1時間12分:中庭沿いの(?)歩廊
 後の場面ではさらに、廊下ではなく、扉口が一列に並ぶ〈アンフィラード〉まで見られます(→こっち)。古城映画の誉れここにあり、といったところでしょうか。  『生きた屍の城』 1964 約1時間22分:数珠つなぎになった部屋(アンフィラード)
 コーマンのポー連作周辺では、第一作の『アッシャー家の惨劇』(1960)で既に見られるように、玄関から控えの間なり、長短はあれ通路を経て大広間ないしそれに相当する広間へ、大広間から階段をあがれば住人の各部屋が並ぶ二階廊下(右下→そっち)、それに大広間周辺から地下へ、という積層構造が律儀なまでに整理されています。『恐怖のロンドン塔』(1962)や『赤死病の仮面』(1964)のように玄関の位置がはっきりしなかったり、『黒猫の棲む館』(1964)のように地下を欠いていたりといった変奏は許容されることでしょう。  
 各居室を結ぶ二階廊下というのは、『らせん階段』での廊下(3)と同じ役割で、『フランケンシュタイン復活』、『白い肌に狂う鞭』、『幽霊屋敷の蛇淫』などとも共通しています。「怪奇城の広間」の頁でも、後の二作を始めとして、広間およびそこからの階段とセットになった例をいくつか見ましたが、実在するパターンに近いと見なしてよいのでしょうか? 『アッシャー家の惨劇』 1960 約15分:二階廊下
   他方、『姦婦の生き埋葬』および『怪談呪いの霊魂』で、それぞれの主人公が迷いこむ、二階廊下の枝分かれ(左下→あっち)、および一階広間からの裏通り風の廊下(右下→こちら)は、地下の空間や隠し通路ともども、舞台となる屋敷なり古城に、迷宮化へと向かうひろがりをもたらしていました。
『姦婦の生き埋葬』 1962 約44分:使われていない廊下か部屋 『怪談呪いの霊魂』 1963 約50分:三角アーチの先の廊下
 大きな建物の使われていない区画にある、どこへ伸びるともしれない廊下という点では、バーヴァの『リサと悪魔』(1973)(左下→そちら)やアルジェントの『インフェルノ』(1980)(右下→あちら)で、登場人物たちが逃げ惑ったりさまよったりした、色とりどりの廊下と比べることもできるでしょうか。
『リサと悪魔』 1973 約1時間1分:廊下 『インフェルノ』 1980 約44分:廊下、カーテン群の廊下の角を曲がった先(?)
追補;アルジェントは子供時代の思い出として、

「私の寝室は廊下の一番奥にあったので、逃げようがなかった。つまり、廊下全体を歩き通さなければならなかったのだ。不安にさせる雰囲気、廊下のあちこちにあるカーテンと窓、それらを照らす落とし気味の照明、そうしたもが私を怖がらせた」
  (ダリオ・アルジェント、野村雅夫+柴田幹太訳、『恐怖 ダリオ・アルジェント自伝』、フィルムアート社、2023、pp.30-31)。

「当時私はナザレーノという私立の学校で学んでいた。…(中略)…かなり長い陰鬱な大理石の廊下があり、それに比べれば我が家の廊下など取るに足らないものに思えた」(同上、p.38)。

「授業と授業の間に用心しながらさまよい歩いたマミアーニ高校の廊下は、『サスペリアPART2/紅い深淵』のあるシーンをそこで撮影したほどだった」(同上、pp.39-40)。

 『サスペリアPART2/紅い深淵』(1975)のある場面について、

「…(前略)…主人公は、古い絵画やあらゆる種類の額縁で飾られた長い廊下 - 私自身が子供の頃に毎晩立ち向かわなければならなかった廊下とそれほど違わない廊下 - を進まなければならない」(同上、p.215)

等と述べていました。「『Meiga を探せ!』より、他」中の『サスペリア』(1977)の頁でも触れました→あちらの2)。

 1960年代の作品に戻れば、寝着姿の主人公が燭台を片手に、夜の廊下や階段を歩きまわる場面がある『回転』(1961)も忘れるわけにはいきませんが(右→あちらの3)、何より〈廊下映画〉の名にふさわしいのは、『去年マリエンバートで』(1961)でしょう。 『回転』 1961 約1時間11分:二階廊下、奥に主階段
 この作品ではクライマックス(?)のように、奥へまっすぐ伸びる廊下をカメラが突き進む場面もありましたが(右→ここ)、それ以上に、奥への廊下の前をカメラが画面と平行に左か右へ動くと、壁で暗くなった部分をはさんで、また別の奥への廊下の前を通り過ぎるという、何度か繰り返されたシークエンスが印象的でした(下→そこなど)。当作品の頁では「実際にこうなっているのか、映像を合成したものなのかは不明です」と書きましたが(→あそこ)、廊下と廊下の間にはさまれた壁の部分が部屋の並びだとすると、そんなに薄いはずもなく、別々の場所を合成したものと見てよいでしょうか。  『去年マリエンバートで』 1961 約1時間21分:廊下+四つ辻の角に鏡
『去年マリエンバートで』 1961 約41分:廊下『去年マリエンバートで』 1961 約41分:突きあたりに彫像のある幅の狭い廊下
 この映画では、庭園はおくとして、上下をつなぐ階段が出てこないわけではなく、またカメラは往々にして上向きに首を振ったりするのですが、同じ階、おそらく一階を、視点が水平に移動することの方が多かったような気がします。その分、満を持してといわんばかりに、ラスト前には屋内の主階段附近が舞台となる。それはともかく、居間や食堂、書斎や寝室などの部屋のように、そこで腰を落ち着け、仕事をしたり休息したりするための、そこにいること自体が目的となる空間とはちがって、あくまでそうした場所へ移動するための、それ自体では中継ぎでしかない同じ通路でも、垂直の落差が位置エネルギーを生みだす階段に対し、水平の廊下は、どこまでも、通り過ぎるだけのものという性格しか残らない。しかしだからこそ、廊下には、重力によらない動きや、場合によってはよどみが宿るのでしょう。
 この映画の雰囲気は、そうした廊下のあり方に多くを負っているような気がします。その点で、何組かの登場人物たちが屋敷内を必要以上に(?)長々とうろうろする『ヨーガ伯爵の復活』(1971、左下→あそこの2)や、廃ホテル内を主人公がただただうろうろするばかりの『季節のはざまで』(1992、右下→あそこの3)に通じるところがあるといっては、後者はともかく、前者については異論が続出することでしょうか。
『ヨーガ伯爵の復活』 1971 約50分:館、事務棟風廊下 『季節のはざまで』 1992 約12分:廊下

 6 特徴的な廊下の例

 興味深い廊下の相を含む映画はまだまだあります。先に挙げた
Roger Luckhurst, "Corridor Gothic"(2018)
3章目にあたる
"The Corridor Shot"および4章目"Corridor Affects"で言及された作品は一つも取りあげていませんし、とりわけ著者が「廊下的空間を活用した監督たち」、「映画における廊下空間の三人の作家」(p.303)と呼ぶポランスキー、リンチ、キューブリックまた然り(ポランスキーの作品はこの後一つ触れますが、論文中で言及されたものではない)。
 ともあれここでは、形状の点で特徴的だった例をいくつか見ておきましょう。  
 まずは『審判』(1962)での狭くて曲がりくねる、平板に囲われた通路(→こなた)。そこでも記したように、相似た眺めは夢=迷宮映画の佳作『ドリームデーモン』(1988、監督:ハーレイ・コークリス)でも見かけられました。 『審判』 1962 約1時間46分:幅の狭い通路
 ポランスキーの『吸血鬼』(1967)には、中庭をめぐる屋根付き2階木造回廊が登場します(→こなたの2)。手前を左右に廊下が走っているのですが、それよりは低くなって段差がありました。 『吸血鬼』 1967 約1時間22分:中庭を囲む二階回廊
 『世にも怪奇な物語』(1968)の第一話には、円状の狭い廊下が出てきました(右→そなた)。そこでも記したように、『淫虐地獄』(1971)の、塔の上方にあるやはり円状廊下と相似ています(下→あなた)。また『催淫吸血鬼』(1971)における、塔の外周を巡る石落とし回廊も連想されるところです(右下→こっち)。 『世にも怪奇な物語』 1968 約5分:第1話 円形廊下
『淫虐地獄』 1971 約1時間11分:円をなす狭い廊下 『催淫吸血鬼』 1971 約7分:石落としの回廊、上から
 『さらば美しき人』(1971)のクライマックスを開くのは、両側が窓か開口部の長い廊下です(→そっち)。先立つ場面で主人公は、運河から城に入り、階段を登って妹の部屋に着く。妹の部屋と長い廊下との間は描かれないのですが、場面が続いているせいか、この廊下も二階以上にあるものと永らく思いこんできました。仮にセットではないとすれば、棟と棟をつなぐ渡り廊下なのか、にしても一階にあるのかそれ以上の階にあるのか、さだかではありませんが、「怪奇城の隠し通路」の頁で触れた、フィレンツェのポンテ・ヴェッキオの上階に配された「ヴァザーリの回廊」が連想されたりもします(→あっち)。 『さらば美しき人』 1971 約1時間30分:ソランツォの城、長い廊下

 7 日本の映画より

 最後に日本の映画にも触れておきましょう。「怪奇城の外濠 Ⅱ」の頁の「廊下など」の項で引いた、原口秀昭『20世紀の住宅 空間構成の比較分析』(1994)からの一節中に、

「武家屋敷においても一部中廊下が見られるが、薄暗い中廊下は一般には作られず、縁側や室の通り抜けによって動線を解決してきたのである」(p.118)

とありました(→こちら)。それかあらぬか、日本の伝統的な家屋が舞台の映画では、片側が開けた縁側廊下が主になりますが、中廊下が見られないわけでもない。
 右に引いたのは『怪猫有馬御殿』(1953)の一場面です(→こちら)。この作品ではまた、枝分かれしたり鉤状に折れ曲がったりする渡り廊下も登場します(→そちらや、またあちら)。その上火の見櫓や屋根の上の足場まで出てくるのですから、50分足らずの中篇とはいえ、あだやおろそかにしてよい作品ではありません。 『怪猫有馬御殿』 1953 約25分:奥へ伸びる畳敷きの廊下
『怪猫有馬御殿』 1953 約8分:交差する渡り廊下 『怪猫有馬御殿』 1953 約29分:折れ曲がる渡り廊下
 化猫映画からもう一本、『亡霊怪猫屋敷』(1958)を忘れてはなりますまい。主体であるカラーの過去篇もさることながら、その前後をはさむ白黒の現在前後篇、その前篇冒頭での夜の病院や屋敷初訪問時とともに、とりわけ後篇冒頭で、交叉する廊下を撫で回すカメラや、廊下の床に落ちる雷光には、はしゃがずにはいられません(→ここ)。 『亡霊怪猫屋敷』 1958 約1時間2分:廊下(3)
 『怪談』(1964)の第一話「黒髪」における中庭を囲む縁側廊下を通り抜けて奥の部屋へ向かう道筋(左下→そこ)、第四話「茶碗の中」でのむやみにだだっ広い屋敷内の廊下を主人公が右往左往する場面(右下→あそこ)なども、廊下のあり方を活かしたものでした。
『怪談』 1964 約6分:第1話「黒髪」 庭を囲む廊下 『怪談』 1964 約2時間42分:第4話「茶碗の中」 廊下
 『犬神家の一族』(1976)で、玄関からどう通ってきたのか、一部で中庭を囲んでいるらしき、H字型(?)の廊下を登場人物たちが往き来する何度かの場面も、屋敷の入り組み具合をよく伝えるものでした(→こなた)。  『犬神家の一族』 1976 約20分:廊下 手前左に中庭(?)
 『犬神家の一族』の舞台である屋敷は和洋折衷でしたが、洋館であれば、『血を吸う』三部作の第一作、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970)が思いだされます。玄関ホールから階段をあがって、各個室をつなぐ二階廊下へという、基本(?)に忠実な配置を、登場人物たちが何度となくなぞります(→そなた)。   『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』 1970 約7分:二階廊下、手前が階段側
 また一階にも廊下があって、おそらく、二階廊下と上下に並行しているようです(→あなた)。この廊下にはさらに、地下ないし半地下への降り口が設けられています。
 怪奇映画の舞台にふさわしい間取りが懇切丁寧に設計され、その中を人物たちが動き廻ることで話が進むという、実に律儀な結構を本作は備えているわけです。
『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』 1970 約1時間6分:一階廊下 奥が玄関広間(?) 
 三部作からは、第三作『血を吸う薔薇』(1974)でも、学長邸の二階奥の廊下(左下→こっち)や、寮のやはり二階廊下(右下→そっち)が、見るものの視線を誘い、何ものかが出現する予兆となっていました。廊下が魅力的に映された作例はまだまだ尽きないとして、しかし既に、ずいぶん長くなりました。今回はここで取りあえず、いったん筆を擱くことといたしましょう。  
『血を吸う薔薇』 1974 約12分:学長邸、二階廊下を曲がった先+斜め格子の影 『血を吸う薔薇』 1974 約25分:寮 二階廊下
2021/12/07 以後、随時修正・追補
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